アクセシビリティ(だけじゃないけど)の啓発で気をつけているつもりのこと
著
malaさんの書いた文章、生活と意見: ソーシャルディスタンスなどと称してユーザー名や文章にスペースを挟む行為についての苦情に関連して覚え書き。
Webアクセシビリティ向上に携わる一人として、文章の趣旨には賛同するし(実態調査を踏まえた発信というのが素晴らしい)、ゆえにINTERNET Watchのようなメディアに取り上げられたことを嬉しく思ったし(社名にスペースを挟み「ソーシャルディスタンス」アピール→検索不可になる例が続出中?【やじうまWatch】 - INTERNET Watch)、文章がきっかけとなって空白文字を挟まない表記に戻す動きが見られた(少なくとも日本共産党は戻した)のは、良かったなと思います。
一方で、文章中に登場する強めの言い回しが、一部の方の反感ないしそれに近しい反応を招いている(例えばソーシャルディスタンスなどと称してスペースを挟む行為について、私なりの考えを書いてみる|nobkz|note)点は、残念です。敢えてそういう表現を採用されているようですから、否定するつもりはありません。しかし仮に、その強い言葉のせいで、機械可読性の大切さを初めて知った方からアクセシビリティ改善の芽を却って摘んでしまっているとしたら、とても勿体ないと思います。
また、空白文字を挟んでいた人の中には、実態調査のくだりを読んで「晒し上げられた」と感じる方がいるかもしれません。「公表前に個別に連絡をしてくれれば、気持ちよく直せたのに......」と感じる方も、いるかもしれません。企業や公人の認証済みアカウントの中で、収集した範囲だと、1%程度に広まっていた
とのことですから、個別に修正を促すのは全く現実的では無いでしょうけど、もう少し別の出し方はできなかっただろうか、とは思います。
正直に言って、自分もこの手のアクセシビリティを啓発する場面で、強い言葉を使ったり晒し上げ同然のことをしていた時期がありました。でも、今はそれが啓発という目的を達成する最善の策とは信じていません。単純に歳をとって言動が丸くなった......というのも否定はしませんが(むしろ全肯定しますが)、やはり経験を重ねるなかで逆効果になるという思いを強くしてきたからかなと。またD・カーネギーの著書『人を動かす』もまた、自分の言動を改めさせた一冊です。同書には、以下のようなくだりがあります。
腹が立った時、相手を思いっ切りやっつければ、さぞかし胸がすくだろう。だがやっつけられたほうは、同じように胸がすくだろうか? 喧嘩腰でやっつけられて、気持ちよくこちらの思いどおりに動いてくれるだろうか?
アクセシビリティおじさんからは、以上です。