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クヨクヨしてしまう人のための「強い心」をつくる禅の教え

久しぶりに読んだ自己啓発書というか禅についての本、『クヨクヨしてしまう人のための「強い心」をつくる禅の教え』から。

短くても密度の高い時間を家族が共有したら、それぞれが絆に思いを馳せることになるし、心が通いあう会話も生まれ、笑顔を向け会うことにもなると思うのです。

密度については息子に対し割と口すっぱく言っているポイント(どれだけ長時間勉強したところで密度が薄ければ時間相応の成果に結びつきにくく、逆に集中して密度を濃く勉強できれば短時間でも済ませられる云々)であるけど、それは何事につけても言えるのだろうなと。

命を大事にしなさい、ということを誰もがいいます。しかし、「なぜ?」と聞かれると、答えに窮してしまう。じつは答えははっきりしています。お預かりした命だから、大事にしなければいけない。それだけのことです。

仏教ではそういうことになっているらしい。仏様からお預かりしたものという発想は無かったなー。それを信ずることのできない人に対しては何ら説得力を持たない論説ではあると思うけれど、不思議な説得力を感じます。そもそも「所有」というのが集団幻想という認識でいるからかもしれない。

失敗とは、うまくいかないことを確認した成功

これは本書で一番気に入ったフレーズ。その論でいけば、この世のすべては概ね成功と見なせるし、行動を起こさないことや十分な思慮なり準備を伴わない行動こそ悪みたいなよく言われる話もますます納得感が高まる気が。あと「三昧」という言葉、禅語だったんですね......。

意味は、一つのことに脇目もふらず集中すること、雑念を捨て去って、今、取り組んでいることにすべてを投入することです。
いつも三昧の心でものごとにあたる。それが、時間をもてあまさない、つまりは、クヨクヨしない秘訣です。

趣味であれ何であれ、それに没頭するぐらいの意味で捉えていたけど、三昧こそが本のタイトルにもあるテーマへの答えだったとは。三昧のいちばん邪魔をするのが分別目の前にあることが、そのときどきの"絶対"ともありました。一所懸命に生きるしかない。

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