親と子で終活に備える
著
終活に関する本は既に何冊か読んでいるわけですが、『親と子で終活に備える【文春e-Books】』は中でも一番金額的に安く、文字量もそれなり。「月刊文藝春秋2016年12月号」掲載の記事を再構成して電子書籍化
したもの、という位置付けも多少は金額に影響しているのだろうね。ただ、文字量が少なかったから役に立たなかったかというとそうでもなく、特に葬式と実家の二点について、考えさせられるポイントがいくつかありました。まずは葬式について:
地域のつながりが希薄になったいま、見栄も世間体も退潮しつつある。葬儀を支えていたものがなくなれば、葬儀は縮小の方向に向かうのは当然の成り行きなのだ。
これは、直前にある江戸時代以降の葬式の歴史をさかのぼれば、葬式というのは、"見栄と世間体"だけで成立してきた
との指摘を受けてのくだり。確かに近所づきあい自体が皆無に近い現状を踏まえると、自分自身の葬儀というのは正直やらなくて良いように思います。死んでしまってからのことなんて、知る由もないし。どういう状況で自分が亡くなるかわからないけれど、最後の最後で身内に経済的な負担を強いるのは極力避けたいという意図もあります。その考えを究極的に推し進めると
数年前、宗教学者・島田裕巳氏が「ゼロ葬」を提起した。葬儀、お墓は不要、遺骨は火葬場で処分するというものだ。
というお話に繋がるのだけど、それで自分自身は全く構わないように思えます。だって、死んでしまってからのことなんて以下略。いや真面目な話、自分の死を悲しんだり、死後に自分の存在を懐かしんでくださる方が身内以外にいたとして、その気持ち(いや「可能性」だろうか)だけで十分、ありがたいと思うから。そして実家について:
人が住まなくなった家は、急速に劣化します。湿気のせいで畳や根太が腐って住めなくなるだけでなく、倒壊の聞き、雑草や樹木は伸び放題、衛生面や景観や治安の悪化など、いいことは何もありません。
......自分が住んでいるところは賃貸だけど、両親が今も住む実家については持ち家だから、将来に起こりうる危機的状況を多少なりともイメージし、早くから対応を考えておかなければという危機感を抱きました。その一方で
「親は、実家をどうするかという問題を直視したくない」のが現実なのです。
というのも真理だろうなと。故に、以下のくだりに賛同:
親が体調を崩してからでは、ますます切り出しにくくなります。まだ元気なうちに、理想を言えば両親が揃っているうちに、話し合っておきたいものです。