Re: Twitterをやめます。
著
先週、滅茶苦茶はてブられていた記事、Twitterをやめます。|戸田真琴|noteを読んで。自分はあいにく? 著者の方を存じ上げないのだけど、素晴らしい文章だなと思いました。Twitterについてというか、SNS全般について言えることと思うけど、その良い面・悪い面どちらにも真摯に向き合ったうえでの問題点、そしてご自身のTwitterに対する決別を、丁寧かつ見事に文章化していらっしゃる。なかでも印象的だったのは、
本来は、誰かに言葉を放つことは、もっと緊張感のあることでした。
というフレーズね。特定の相手であれ、不特定多数に対してであれ、「誰かに言葉を放つ」ためのコストというのは、人類史上かつてないほどに下がっていると思う反面、それに引きずられる格好で本来失われるべきではないレベルの緊張感とか礼節まで損なわれている気がしなくもない。TwitterやWebに限らず、自分がどこかに何かを書き込むとき、それを読む誰かがどう受け取り、どう感じるかについては、もっと慎重で敏感にならなければいけないのだろう、と自戒の念を込めて書いておきます。
自分は2007年4月からTwitterを使い始め、ツイート数は17万を超えました。自分は戸田氏のような有名人ではないものの、その間、Twitterの利用方について悩んだことは少なからずあって、鍵をかけたり外したり、自分なりの試行錯誤を繰り返してきました。結果的に落ち着いたのは当たり障りの少ない、読み手を不快にしたり一方的に辱める可能性の低い内容・言い回し。そんなマイルールとて、常に100%完璧に守れている自信は正直ないけれど、一応こなれてきてはいるかな。
見方によっては実に「つまらない」使い方をしているかもしれない。双方向の媒体としてより一方通行的な、どちらかというと自分の好きなものごとの拡散装置として利用している感じ。それが自分にとってはちょうどいいSNSとの付き合い方であり、距離感かな。フォロワー数なんかはどうでも良くて、基本的に「来るもの拒まず去るもの追わず」のスタンスでいます。まぁあくまで「基本的に」であって、拒むことはありますけどね......一種の自衛手段として。
画面の向こうには常に生身の人間がいて、オンラインとオフラインはこれまでも・これからも地続きであり不可分。そういう意識なり感覚がもっと社会全体、Web全体に根付かないとこの先、苦しくなるいっぽうかもしれない。