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Re: 情報の再利用を前提とした情報保障のあり方を考える

先日、アクセシビリティの祭典 2019に参加した際に懇親会で久しぶりにご挨拶することのできたkzakzaさんの記事、情報の再利用を前提とした情報保障のあり方を考えるを読んだ感想です。

論文等の執筆のために原文をそのままの表記で再利用したい、となった場合、墨字資料から一度点訳または音訳したものを、元の墨字の原文に正確に戻すということは、漢字やかなが混じる日本語では特に難しいだろうと考えていました。また、実際にそのような理由でテキストデータがほしいという声を一度ならず伺ったこともあります。

点訳や音訳の経験はないけれど、なんとなく感じたのは、データの不可逆圧縮に近いイメージ。点訳または音訳をすると表記に関する情報が損なわれてしまうので、元あった状態には戻せなくなるというのは、不可逆変化が起こっているということですよね。表記に関するメタデータ(と呼ぶのは相応しくないかもしれない)を規定し、点訳または音訳した結果と分離した(もしくは疎結合な)状態で取り扱える仕組みがあると良いのかもしれないけれど、現状そのような仕組みは存在しないし、その実現が極めて難しいのは想像に難くありません。

例えば、学術文献にある図について、代替テキストを作成する場合です。その図と同等の説明が本文にあるとして、内容を理解すればよいだけであれば、alt属性は空値でもよいという判断になると思います。しかし、発信することまで考えると、本文の内容を図にした画像がそこにあるという情報も必要ではないか。

学術文献の場合、図には基本的に通し番号を付与することになっているはずですから、どこに挿入されていたかという位置情報は類推できるはずですけど、なるほど代替テキストのつけ方については考えものです。学術文献であればこそ、他の文献から引用ないし参照されることを想定し、図表なんかは本文から切り出しやすく疎結合な状態に構成することが望ましいかもしれません(HTML的にはfigure要素を使う?)。それとておそらく完全・完璧なソリューションではなさそうだし、結局は原文の側でどこまでメタ情報をリッチに提供し、かつ利用(引用や参照を含む)する側でそのメタ情報をいかにして使えるようにするかみたいな議論に収斂しそう。

テキストデータにはテキストデータにしか担えない役割があるとして、提供する側はなるべくICTスキルを要しない方法に留意しないといけませんが、その時点での支援技術の対応状況と、対象となる層の視覚障害者のICTスキルなどを勘案してどう折り合いをつけていくかは、悩ましいところだと思います。

上記はまさに、アクセシビリティの祭典 2019のセッション「アクセシビリティの未来を考える」に登壇させていただいた中で語ったトピックスのひとつ、アクセシビリティ確保のためのコスト按分の話に通じるように感じました。コンテンツを制作する側やそれをユーザーに届けるプロセスを担う側(例えば支援技術のベンダー)だけが頑張れば良いわけではなく、ユーザー側も一定のコスト(支援技術を利用するための学習コストなど)を払ってこそ、アクセシビリティの価値を最大化できると思っているので......その意味では、kzakzaさんの記事が参照している先の植村 要「読書環境の利便性向上に向けて」で、植村さんが

近年では、様々な支援技術の開発によって、視覚障害を気にすることなく、それなりに便利にいろいろなことができるようになってきたと思います。ですが、支援技術を使用するには、視覚障害者にある程度のICTスキルが求められる場面もあります。それは新たな障壁ができたという面もありますが、ある程度のスキルを身につければ利便性が増すわけですので、頑張ってみてもいいのではないでしょうか。

と(視覚障害当事者のお立場で)お書きになっているのは、大変心強く感じると同時に、素晴らしいなぁと思うのです。すると今度は、障害当事者に対するICTスキルの教育は現状十分なのか? という別のトピックスが気がかりになってくるのですけど、それはまた別のお話ということで。

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