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学歴という呪い

最近、東大にまつわる2つの記事を、興味深く読みました。

自分は、残念ながら東大を目指せるほどの好成績を修めたことはなく、偏差値的に東大より下の東北大に現役と一浪と二度に渡り振られてしまい、奇跡的に引っかかった早大理工に進学した程度。なので彼・彼女の経験談には遠く及ばないだろうと思いつつ、それでも小学5年生から受験戦争に放り込まれ、以来大学入学までの間それなりに苦労やら挫折を味わったつもりであり、わかりみが深かったです。もちろん東大を、東大を受験した人達を舐めるなんてこと、自分にはできません。

幸い、成績に関して親から暴力を受けたことはないけれど、母親の目の前で毎晩遅くまで勉強させられ、眠気に勝てずちょっとでもコックリしようものなら、すぐさま「顔を洗って来なさい」と叱られ続けたのは、小学生の自分には正直かなり応えました。加えて、通っていた塾ではちょっとしたイジメに遭っていたし、小6の夏に塾の合宿で日光に行ったのは人生で一、二を争うほど嫌な記憶となったし、結果的に中学受験では全敗したし、以下略。誤解のないよう書いておくと、母には滅茶苦茶感謝してますよ......時間は大抵、過去を美化してしまうものでね(謎

中学受験全敗後については、だいぶ前に中学〜高校時代の勉強法という記事で自分語りした通りなんですが、まぁしかし学歴ってのはつくづく呪いだなって思います。地域によって差はあるにせよ、社会全体が呪われている感じ。高学歴が、社会に出てから有利に生き延びるための絶対条件であるかのように思い込まされる呪いに。年を追うごとに、その呪いが解け始めている印象は受けるけれども、それでも学歴信仰は今なお根強く存在し、また卒業大学の偏差値を業務遂行能力と関連づける謎の傾向を感じることは、今でもあります(勤務先においてではなく、あくまで社会的な文脈で)。

隗より始めよ、故にまず自分自身にかかっている呪いを解かなければと思いつつ、実は残念ながら完全には解けていない。もちろん、自分は学歴で人を判断するようなことはしていないつもりだけど、社会全体がまだまだ呪縛にかかったままに映る状況下で、例えばそこから「いち抜けた」みたいな生き方を息子には推奨しにくい(少なくとも積極的には)。まぁ彼が中高一貫校に進学するに至ったのは、親のエゴなり上述の呪いに依るところが大きいにせよ、受験をやめたければいつでもやめていいと伝えてはいたので(僕自身が辛い目に遭っていただけに)、少なからず彼自身が考え選択した結果だと思っています。そう信ずるのもまた親のエゴであり呪いだね、と言われればそうかもしれないけれど。

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