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早稲田出ててもバカはバカ

既になぜ買ったのか、いつ頃読み終えたのか分からないけれど、気まぐれに『早稲田出ててもバカはバカ』について覚え書きしておこうかと。もうね、タイトルが全てであって、そりゃそうだろうという感想しか(本書を読んでも読まなくても)無いし、当の僕自身がまさに、早稲田出ててもねぇという感じなんですけど。

本書は、三流高校(ご本人談)から起死回生を図るべく早稲田大学を卒業するも、その後の社会人人生においていわゆるブラック企業に入ってしまい、そうこうするうち夜の世界(風俗業界)にハマり、お金を求めてさまざまな業種を転々とするうち、東日本大震災で被災。最終的に(今現在は存じませんが、少なくとも本書が刊行された時点では)更生するまでを書き記したルポルタージュ。

殊更に何かこう強く印象に残った内容も無いのだけれど、結局のところ学歴とは一体何なのか、自分にとって受験戦争はどういう意味があったのか、そんなことを考えさせられます。そして何より、来年に中学受験を控え塾通いをしている息子の人生にとって何が良い選択なのかということも、しみじみ考えさせられます。以前目にした、中学受験なんて完全に親のエゴでしかない、という意見には「然もありなん」と同意しながら。

著者の半生からも明らかなように、どれほど立派で大層な(と、社会一般からは認められる類の)学歴を手にしたところで、それが未来の何かを保障してくれるなんてことは決して無い。経済が右肩上がりで、有名な大学に入り安定した大企業にでも入れば一生安泰、みたいなことが言われた時代には「ある程度」保障をしていたかもしれないし、ひょっとすると僕の両親は暗にそういう時代背景を動機として教育に力を入れてくれていたのかもしれないですが。

自分の息子には、これほどまで不安定で予測不能となった社会を生き抜く手段として、広い視野だったり柔軟な発想、豊かな想像力、そして科学的な思考法を身につけて欲しいと思っていて、その学習・成長プロセスの結果として一定の学歴が備わる可能性はあるにせよ、やはり高い学歴の獲得そのものが学ぶことの目的になってはよろしく無いのだろうなぁ......そこは鶏が先か、卵が先かの議論に似て、バランスの取り方が難しく感じるのだけど。そんなことも、改めて考えさせられました。

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