二分の一成人式
著
息子の小学校で、二分の一成人式が催されました。自分が小学生の頃には聞かれなかったイベントゆえ、企画そのものに激しく違和感を感じながらも、どんな内容かこの目で見てやろう(もし批判する必要があるならその上で批判しよう)という興味・関心から、参加してみたのです。感想としては、なんとなく予期した通り違和感を終始拭えなかったし、正直言ってこのイベントは廃止した方が良いのではないか、とすら思いました。
違和感の出処は色々あって、まだ十分に咀嚼・整理しきれていないのだけど、第一に親への感謝を子供達に強制しているかの印象を強く受けた点。第二に、もともと二十歳を迎える=成人することに形式的なもの以上の意味を見出せないでいるから、その二分の一である十歳を迎えたことに対しても「で?」っていう点。第三に、大きな病気や怪我、災難に見舞われることなく息子が成長してこれたこと自体は本当に有難く思っているけど、その事実には日々自発的に感謝すべきであって、わざわざ大仰な「式」を催すほどのことか疑問である点......などなど。
帰宅後に改めて調べてみて、考案者は兵庫県西宮市の佐藤修一教諭とされ
、高学年への門出に「背筋を伸ばして参加するようなイベントを」と考案した
ということを知りました(それがどういう経緯で広まったかの解説は2分の1成人式 - Wikipediaにない)。また、同ページでも言及されている内田良氏が、「2分の1成人式」に違和感 虐待死の子供も手紙 〈AERA〉|dot.ドット 朝日新聞出版において多様化する家族形態にまったく配慮が行き届いていません
とコメントされていたのは、至極真っ当であると感じました。
もちろん感じ方は人それぞれだから、この種のイベントをありがたがる層と言うのも少なからずいるのだと思います。実際、前の席に座っていたお母さんなんか、壇上で娘さんから感謝状めいた文章を読み上げられたこともあり、ちょっと感極まってたしね。しかし、しかし......ただでさえ「お涙頂戴」的な全てに苦手意識、どころか嫌悪感を抱くことすらある自分からすると、誰の・何のためのイベントか全く分からなくなってくるのですよ......少なくとも僕は息子に対し、父親である自分への感謝を強制なんかしたくないし、それは然るべき時(いずれ本人が経済的に自立した時か、子供が生まれた時かはさておき)に「自然と」感謝してくれたなら、それでいい。