本音で生きる
著
ホリエモンこと堀江貴文氏の著作、『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』について。22ヶ月熟成したという、秋田産の生ハムをどうしても食べておきたくて、昨夜ひとり立ち寄ったビアパブイシイで、シナモンエールのハーフとインペリアルスタウトのパイントを飲み干すあいだに読みきりました。新書ってビールのお供にちょうど良いかもしれないなぁ、なんて思った次第。本書には、自分もかつて勤めたオン・ザ・エッヂへの就職を諦めた東大生の話が出てくるけど、それって宮川さん(誰)のことですかね......というのはさておき。
メールでの言い合いはよくない。あくまで顔を合わせて議論すること。これだけは守ったほうがいい。
最近、会社でも上記のようなことは言われて意識するようになりました。それまでは、メールのほうが文字に頼って明確に意見を表明しあえるし、記録にも残るし、時間の束縛も受けないぶん便利じゃないか、と思っていたけれど......とはいえ、議論のすべてを対面でというのも現実的ではない以上、やはり議論の「種類」に応じた見極めが必要かなと(基本方針としての対面で、には同意)。
なぜ、そんな風にデジタルで物事を考えようとするのだろうか。本来人間は、白・黒で割り切れるデジタルな存在ではなく、色彩豊かなグラデーションで構成されているというのに。
そういう風にホリエモンが考えていたとは意外、と言っては失礼なのでしょうけれど、しかしこれは言い得て妙ですね。上記のくだりの前には、「価値観や意見が違う」ことがわかることが大事
とも書いていたけれど。何から何まで意見の一致を目指すのではなく、むしろそんなことはあり得ないという前提に立ってどう行動するか、が大事なのだろうな。
時間という希少資源をどう使えばよいのかを常に考えることによって、自分のできる物事の範囲は広がっていく。
うっかりするとこの時間の使い方に関するPDCAサイクルを回すことを止め、ワンパターンな日々を過ごしてしまう。考えなくていい、という意味ではそのほうがラクだからそうしてしまうのだと思うけれど、いつ死ぬかもわからないのに(可処分時間は急速に減っているうえ明日突然ゼロになるかもしれないのに)そこを思考停止してしまうのは本当に恐ろしいこと。常に意識していかなければ。