Fw: 本の書かれ方・読まれ方・作られ方が変わり、やがて社会が電子書籍に追いついてくる
著
電通報で、ボイジャー社長の鎌田純子氏へのインタビュー記事「本の書かれ方・読まれ方・作られ方が変わり、やがて社会が電子書籍に追いついてくる」を読みました。先日、ウェブから学ぶ電子出版の可能性~多様な読書スタイルを考える~に登壇させていたいたときのトークセッションとイメージ的に一部かぶるところもあって、全体的に非常に面白かったです。
本のページをそのまま電子化するだけでは、そこから次の新しいものは生まれにくいでしょう。大手の出版社は電子書籍を「権利」として扱い、そこから利益を生み出そうとしています。
上記のくだりは、電子書籍の出版や流通に疎いながらも個人的に抱いていた印象と一致します。いまだ「デジタルファースト」ではなく「紙ファースト」な概念が支配的であるためか、紙媒体向けのパッケージを単純にそっくりそのまま電子化しただけという印象が強く、電子媒体ならではの魅力なり価値をまだまだ発揮できていないというか。
私たちは、映像や音声をもっと活用するなど、電子書籍だからこそ初めて可能になるような原点回帰したところにある面白さを目指しています。
いつぞやのCD-ROMコンテンツを強く想起させられるのですけど、確かに、動画や音声といったコンテンツも文字と一緒に扱うことができるのは、電子媒体ならではです。そういう電子書籍も既に少なからずあるのでしょうけれど、まだ一般的ではないでしょうから、今後に期待ですかね。あと、電子書籍だからこそ初めて可能になる
という視点でみれば、内容のバージョンアップとか、正誤表の動的な反映とか。まぁ贅沢を言えばキリがないし、ビジネス的にどう回収するの?みたいな話も不可避ですが。
紙という物理的な形式を取っていないと記憶に残りにくい、ということは確かにあるかもしれません。ただ、検索に慣れている今の若い世代が社会の中心になったら、それも変わるのではないでしょうか。
ですね、ですね。自分が電子書籍に手を出したばかりの頃は、紙の書籍なり教科書に慣れ親しんできたぶん抵抗を感じたものですけど、それも今やすっかり様変わりしました。紙の本には紙の本の、電子書籍には電子書籍ならではの良さがあって当たり前で、それぞれをいかに使いこなすかは慣れの要素が大きい。デジタルネイティブな世代なら、その最初の抵抗感すら覚えることなく双方を使いこなしているかもしれない。そうやって徐々に社会も文化も変化していくのでしょうね。デジタルの利便を手放すなんてことは最早、あり得ないわけですから。
デジタルで言えばモジュールという発想があります。個別に機能するモジュールが順次合わさってシステムになるという捉え方ですが、電子書籍においても、本をばらしてマイクロ化するのではなく、マイクロ化して存在するものからパッケージが生まれてくるというサイクルが自然なのだと思います。
この部分は、ドットDNPでのイベント当日には話題に出さなかったものの、準備の過程においては自分から論点として挙げていた話題です。ヤスヒサさんが割と頻繁にWebコンテンツのマイクロ化という話をされている印象がありますが、まさにそのトレンドが電子書籍にも来るのだろうか? AppleのiTunesがアルバム単位という一種の呪縛を解いて音楽を曲単位で購入できるようにしたごとく、電子書籍でもその一部を買って読むような動きというのが今後出てくる(さらには根付く)のだろうか? といったあたり。いずれ、ドットDNPでのイベントの第2回が企画されたら、その辺りのお話を聞いてみたいですね。質疑応答のなかでも、そんなやりとりがありましたし(リニアかノンリニアか論)。
あまり関係ないけど、HyperCard懐かしいなぁ!!僕が初めてのMacintosh(LC-III)を買ったばかりの当時は、正直それをどう扱えばいいのか、何が凄いのかよく分からなかったのだけど......。