標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学
著
最近読んだ本のなかから『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』の覚え書きをさくっと。著者の竹内洋岳氏は、日本人で初めて8000メートル峰全14座に登頂、「14サミッター」となった人。氏の言葉に触れたのは、昨年10月にプロ登山家・竹内洋岳 ×BCGパートナー・植草徹也【中編】 「リスクをとれるチーム」なら 肩書きとしてのリーダーはいらないという記事が初めてだったと思います。高所登山には到底及ばぬレベルで一昨年辺りから少しずつ山歩きや登山を楽しみ始めた僕からすれば、尊敬どころか畏怖の念を抱いてしまう御方だけれど、実は自分が登山道具を買っている石井スポーツ新宿西口店に勤務されていた経歴の持ち主だったということで、ちょっと親近感が湧きました。本書は、いきなりガッシャブルムII峰で雪崩に遭遇したときの描写に始まり、ぐいぐい引き込まれたのですけど、
登山は想像のスポーツです。頂上まで行って、自分の足で下りてくる。ただそのために、登山家はひたすら想像をめぐらせます。無事に登頂する想像も大事ですが、うまく行かないことの想像も同じように大事です。死んでしまうという想像ができなければ、それを回避する手段も想像できません。私たち登山家は、どれだけ多くを想像できるかを競っているのです。
というのはなるほどなぁと。そもそも、どういう装備が必要なのか、どういう服装で登ればいいのか、そこからして想像力が求められるし、実際初めて山に登った時ってそれすらちゃんと想像できていなかったように思います。もちろん、今なら本やらWebやらで補うことはできても、それをどこまでリアルに想像できるかってところが問われるのだろうなと。あと、基本的に高いところは好きなほうだし、飛行機に乗るときもできるだけ窓側に乗りたい派なものだから、
飛行機に乗って八〇〇〇メートル付近を飛んでいる時に、窓の外を見てみてください。そこまで歩いて登っていく人がいることを想像すれば、少しはヒマラヤ登山のスケールを感じてもらえるのではないでしょうか。
という説明には参りました。そんなことを言われたら、ついうっかり自分まで8000mの世界に足を踏み入れたくなってしまう。ましてや、天の川などは、空に光る川が流れているどころか、滝が落ちているように見えて、それは美しいものです
とまで言われたら。手を伸ばせば星に届きそう、な感覚があったりするのでしょうか。死ぬまでに宇宙に行きたいけれど、もしそれが叶わなそうだったら......高所登山に挑むのも一つの選択肢かしらね。そして極めて印象的だったのが、
高所登山というのは、素潜りに近い感覚ではないかと思います。私は泳げませんから、実際に潜ったことはありませんが、酸素ボンベを使わないで海に潜り、一番深い底にタッチして帰ってくる。八〇〇〇メートルの峰の頂上も、深い海の底のような場所だという気がします。
という比喩。酸素ボンベを背負わず無酸素で挑む高所登山であればこそ、登山と潜水、まったくベクトルの異なる違った世界にみえて実は共通点があったと。とても面白いな、と思いました。