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Fw: 風立ちぬ

@noriyoさんが、映画『風立ちぬ』を見ての想いを、同じタイトルの風立ちぬという詩というか文章に綴られていたので、紹介がてら覚え書きしておきます。最初は菜穂子の母という視点で書かれたものと誤解したのですが、そうではなく、神というか漫画『スカイハイ』のイズコというか、そういう感じの視点かなと。とても面白いので、映画を見た人は是非一読していただきたい感じ。

でも、それはあなたにとっても都合のいい結末だった
そうでしょ?
病いに衰え、死にゆく自分を、あなたは彼に見せたくなかった
自分の美しさだけを、彼に残せればよかったのよね
わかるわ、わたしだって女だもの

夢のなかで菜穂子の言った「生きて」という言葉、二郎の(というか男性全般の)エゴが言わせしめたとばかり映っていたけれど、必ずしもそうではないのですね。女性なればこそ、という感覚かもしれないけれど、若く美しいうちに最期を迎えるというのは、つまり周りの全員にその記憶のまま永遠に生き続けることを強制できるわけで、まったくもって理不尽かつ救いの無い話とも言い切れないわけか。それが自分にとって第一の気づき。そして第二には

自分とか他人とか、果ては
「誰かから見た自分」とか「ほんとうの自分」とか
そんなことなんてどうでもよくなる瞬間
自分と世界の境界がなくなるほどに
その時間と空間とに自分を融けこませる瞬間
ひとは一番美しくなれるの

が興味深かったかな。二郎目線での恋愛映画との性格が強い(と少なくとも自分は受け取った)し、菜穂子の生き様にはあまりスポットが当てられておらず、物語が進めば進むほどただただ薄幸のヒロイン的な位置付けが強化されてしまったようにも思うけれど、彼女は彼女なりに(二郎にとっての飛行機と同様)夢をもって生きていたはずで。彼女の夢がイコールで二郎に寄り添うこと、だったら正に恋愛映画の王道と言える(同時に陳腐過ぎる感が否めなくなる)けれど、彼女は絵を描いていたんだよね......それが彼女にとって「時間と空間とに自分を融けこませる瞬間」と仮定するなら、映画全体が実に味わい深くなるなぁ。そして最後に。

わたしも時々思うの
人生なんてたいへんなもの、一度きりで十分だわって
ほんとうに生きたなら、ほんとうに死ねるはずだって

......はい、いや本当に。

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