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さようなら、Mr. Steve Jobs

各所で既報ですが、Steve Jobs氏が亡くなりました。今朝、その知らせを目にした時点では、CEATECの開場を前にちょっと慌ただしかったこともあって

家に帰ったら追悼の意を覚え書きする。しかし、人はいつか死ぬよ。ただそれだけのこと。彼から何を学んだか?それをこれから天国の彼に見せてこその追悼。

なんて強がって/落ち着いたフリをしていたものの、家に帰りテレビのNHKニュースで改めてその報に接してからというもの、じわじわと悲しい気持ちが湧いてきて困りました。お決まりの感謝の意でも哀悼の言葉でもいい、Apple製品とのつまらぬ思い出話だって構わない、とにかく何かしら書き記しておかなければと思いつつ、浮かんでくる言葉は瞬く間に胸のあたりの虚空に吸い込まれ……キーボードを前に何をどう表現すれば良いかわからぬまま、時間だけが過ぎてしまう。僕のApple製品好きを知っている人からすれば「何を今更」と言われるかもしれないけれど、それほどまで氏の存在が自分にとって大きなものとなっていただなんて、正直驚いています。

享年56歳という若さは残念ではあるけれど、氏らしいといえば氏らしい気がするし、CEO職を今年8月に辞してからたった一ヶ月半で亡くなったということは、本当にギリギリまで(おそらくは余命を削っていることを自認しながらも)「宇宙に衝撃を与える」べく奮闘していたんだろうなと思います。だとしたら、その意味するところは何なのだろう?やっぱり、Appleという会社が「Jobs離れ」するにはまだ早すぎた(準備が終わっていなかった)のではないか?そんな不安が胸をよぎります。

子の自立が親の責務なら、Jobs氏の責務はAppleが(氏の存在に依拠することなく)自立することであって、それを果たせぬままこの世を去らざるを得なかったとしたら、それは残念なこと。しかしながら、いまのAppleは「守破離」の「守」の段階にあって「離」には程遠いし、むしろようやく「守」が試され始めるように思います。ですから、Jobs氏はきっと「離」の段階に到達するその日まで、天国からAppleを見守り続けるんじゃないかな(そして時折、誰かの夢枕に立って檄を飛ばす)。だんだん自分でも何を書いている/書きたいのかわからなくなってきたので、この辺(どの辺)にしておきますけど、とにかく今日までありがとう、そしてさようなら、Mr. Steve Jobs。僕は僕の点を繋ぎ、僕だけの線を引いていくから。

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