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ウェブ社会をどう生きるか

西垣通氏著「ウェブ社会をどう生きるか」を読了。きっかけは、神崎先生のWeb標準の日々でのセッション「名前のウェブとXHTML文書のプロファイル」において、そのスライドの1枚目に同書からの引用があったので。本書は、氏が「ウェブ礼参論」として定義するところの、Webに対する一種の過剰な期待に対して警鐘を鳴らすものであり、ある意味において「ウェブ進化論」とか「ウェブ人間論」における梅田節と好対照、といえるかもしれません。なにしろ、第一章のタイトルからしてそもそも情報は伝わらないときたもんだ(笑)。ただし、内容的に決して悲観的なわけではなく、検索技術やWeb 2.0、概してWeb全般に対し否定的でもないのです。要は情報とは何かを正しく理解したうえでWebを捉え直す必要がある、というのが氏の主張であり、それは生命情報中心の情報学的転回を通じて実現できる、とのこと。

神崎先生のスライドにもありますが、情報を三種に分類して定義しているのが個人的には最も興味深かったです。このあたり、情報学を専門的に修めてこなかった自分には新鮮ですらありました……まだまだ勉強が足らない、掘り下げが浅いと反省することしきり(もっとも、Webを仕事の対象としてからというもの、関連分野を専門的に独学ではなく学校で学び直したいという気持ちは何度となく芽生えてきたけど)。とりあえずその三種を以下に覚え書き。

生命情報
生物が生きて行く上で「意味のある(識別できる)パターン」
社会情報
生命情報をわれわれ人間が観察し記述したもの
機械情報
記号内容がいったん切り離されて、記号表現が独立したもの

また、消化不良気味ゆえ再度読み直す必要がある第4章の末尾にて、以下のくだりが印象的でした。

本来の情報とは生命情報であり、生物の個別具体的な活動と密接に結びついているので、メディアの力でいかに射程をのばそうとしても限界があります。時空をこえてあまりに多くの情報を擬似伝達しようとしても、ただゴミの山を築くだけの結果に終わってしまうでしょう。

Webやメールといった手段により、時間的・物理的制約を超越してコミュニケーションを取ることができるようになったとはいえ、リアルに会って言葉を交わすことの価値が相対的に減るようなことは決してなく、むしろインターネットによって見かけ上の互いの距離が縮まれば縮まるほどに、リアルのほうが重要になるという、日常的な思いと近いものを感じました。そんなわけで、西垣氏のほかの著作も読んでみたくなりました。

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