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Seattle Pacific Univ.訪問

Moyer Hall
Seattle休暇一日目の覚え書き(の前半)。滞在中の予定は特に決めていなかったのですが、朝方にPaulとメッセンジャーで話をして、お昼過ぎに彼の仕事が終わるからその後合流しようということに。とりあえず林檎二つとグレープフルーツジュースの朝食を取ってから、Seattle Pacific Univ.(SPU)まで散歩しに行くことにしました。
自分は1997年の春、SPU付属の語学学校(A.C.E. Language Institutesのひとつ)に二ヶ月ほど通っていました。その間、大学の寮(Moyer Hall)にルームメイトと共に住み、図書館やカフェテリア、スポーツジムといった大学の施設を活用していたのですけど、Seattleという水と緑にあふれサイクリストに優しい街の恩恵もあって、とても充実した時間を過ごすことができました。それからというもの、望郷に近い想いで是非またあの思い出の地を訪れたいと、願い続けてきたわけです。宿からは歩いて片道1時間ほどかかったでしょうか?Queen Anneという小高い丘を超えて行くのですが、閑静な住宅街、よく生活雑貨を調達したSafeway、暖炉のあるお気に入りのStarbucksなどを懐かしみながら大学へと向かいます。その丘の坂は結構急な勾配なんですけど、自転車を降りずに登りきったことも覚えていたので、我ながらよく登ったなぁと感心してみたり。大学はちょうど授業中の時間だったらしく、キャンパス内に学生の姿はまばらだったおかげで、人目をはばかることもなく、懐かしの風景を写真に収めつつゆっくりと歩き回ってみました。いくつかの建物は真新しかったですし、何より入り口に立派な門ができていたのは意外でしたね。
帰り道に歩きながら、そしてその途中Starbucksの店内でラテを飲みながら考えたのは、なぜこれほどまでにSPUに戻りたかったのかということ、そしてそれを実現してしまった今では決別に似た何かを感じたのはなぜか?ということ。当時、学生でもなく社会人でもなく、今でいうニートに近い状態で渡米したことで、自分の人生に対し限りない自由と強烈な可能性を感じていたのは確かです(両親のすねかじりという立場ではあったし、感じていた自由というのも錯覚だったかもしれないけれど)。そしてSPU訪問を機に当時を思い起こすことで、今の自分を少しでも鼓舞できるのではないか?というのが、そもそもの動機にあったのかもしれません。しかしそれ(=鼓舞)は実現されなかったし、むしろ戻るべきではなかったのではないかとすら感じたのは、やはり当時と今とでは大きく変質してしまった何かが心の中にあるからだろう、と思います。当時感じていた自由には今もちょっと憧れがあるけど、単にそれは自由の種類というか属性が違うだけの話で、今の自分が不自由というわけでは決してない。仕事を得、家族を得、当時は持ち得なかった(想像すらできなかった!)幸せを享受しているという事実を、半ば当たり前のこととしてしまっていたような気がしました。Seattleの地にまた住んでみたいという願望は変わらずあるにせよ、SPUを訪れることは多分もう無いだろうと思います。SPUは、心のなかにある10年前のSPUのままでいいし、むしろそのほうがいい。そう感じました。

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