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17日目(2000/1/11)

出発地 到着地 航空会社 便名 搭乗日 出発
時間
到着
時間
マイアミ国際空港 新東京国際空港 アメリカン航空 AA027 2000/01/11 07:50 16:00

今、Miamiから懐かしのSea-Tacへと向かう飛行機の中にいる。いわゆる一つの「なんでアメリカって国はこんなにクソ広いの?体験飛行」の最中である。30分以上も滑走路上で待たされて、さっきようやく離陸した。またしばらく日記をためてしまったけれど、Seattleに着くまでに時間はたっぷりあるし、ゆっくりと思い出しながら時間を遡って書くとしよう。

ホテルでの朝食は予想通りの内容で、典型的なビュッフェ形式であり、メニューは少ない。デニッシュ数個とヨーグルト、それにオレンジジュースをとり、まったりと食事。その後しばらくまたTVを見ながらまったりとして、雨が止むのを期待してチェックアウトタイムぎりぎりまで待つ。その後、ホテルをチェックアウトして、支払いをVISAで済ませた(142.5ドルだったかな?しかしそんな値段ととても釣り合う部屋とは思えなかたけど。)スーツケースはちゃんと預かってもらえたのは嬉しかった。

雨は降り続いていたけれど、とにかく散歩に出る。San Martin広場に出ようとしていきなり逆方向に歩いていたことに気づき、来た道を引き返す。San Martin広場に出て今度はFlorida通りを西へ歩き始める、インターネットカフェを探しながら。しかし、なかなか見つからない。雨も時折強く降る。ここBuenos Airesは年間を通じて雨が多いっていうし、Florida通りはそれほど広く無い道幅なので、なんで日本の商店街みたく屋根で覆っちゃわないんだろうとか疑問に思う。

面白かったのは、それこそいろんな、ありとあらゆる店が立ち並んでいるんだけど、それぞれの軒先に必ずといっていいほど一人の店員が立って客びきとか見張り?をしていたこと。TOWER RECORDSもみかけた。マクドナルドは腐るほどある。結局、Plaza de Mayoまで来てしまい、その近くで雨宿り、30分ぐらいぼーっとする。

ちょうどお昼になったので、今度は同じFlorida通りを逆方向に歩き始める。同じ道でも逆から歩けばまた新鮮だ。腹も減ったのでマックに入る。しばらくぶりにビッグマックのセットを食べる。うまいなぁ、ポテトは塩味薄かったけど。船の中ではそれこそ毎日超豪華メニューのオンパレードだったので、ファーストフードに飢えていたんだ。(日頃、核戦争後もマックさえあれば生き延びられる、と言ってはばからないだけの体ではある。)

マックを出た頃には完全に雨はあがっていた。今度はCordoba通りとの交差点で左折、7月9日大通りまで出る。この通りはまぢで大通りだ。Colon劇場を写真に収めながら西へ向かい、Obeliskにたどりつく。Obeliskの下はちょっとした広場になっていたので、音楽を聴きながら再びぼーっとすることにする。

ふと気づいたのだけれど、ここではバイクに乗っている人のほとんどがノーヘルだ。(いいのか?)それと、やっぱりというか、黄色と黒のどぎついツートンカラーのタクシーは死ぬ程走っているね。ここでは鳩とか雀もたくさんいたけど、鳩に餌をあげていた小さな女の子が最後に手を振って(鳩にだよ、勿論)帰って行ったのは良かったな。

そこで1時間くらいぼーっとしていたと思う。なかなか(車や人の行き来をずっと眺めていても)飽きはしないね、音楽を聴いていたせいもあるかもしれないけど。たまにはこういうのもいいもんだよなぁ。何かに対してそれが「面白い」とか「面白くない」とか「決めて」いるのはやっぱり自分自身であるから、真実としてはAny situation could be fun for me.なんだろうけれど、なかなか日常の中ではそれを実感するのは難しいな、とか考えたり。感性もしっかり多様化していければ、よいのだけれど。

ちょうど3時を過ぎたくらいになったので、タクシーをつかまえGunnarとZelfaの自宅兼オフィスへと向かう。運転手に名刺を見せたら、あっさり連れて行ってもらえた。少しチップが大過ぎだったかも知れないけれど、5ドルはらってタクシーを降りる。

GunnarとZelfaの住むアパートメントはRecoleta地区にあり、非常に古い建物が立ち並んでいる。実際彼らの住むビルも戦前に建てられたものだそうで、事実エレベータは格子状の二重扉を自分で開けて乗り込むという、ひと昔前の映画に出てくるような感動的なものだった。

彼らは本当に快く僕を迎え入れてくれた。建物の外見とは裏腹に、彼らの部屋はすごく洗練されていて、白壁にたくさんの絵とペンギングッズ、それに世界各地で買い集めた品々がオブジェとして並んでいる。書棚には南極や北極、そのほかペンギンや旅行に関する本がびっしり。(Gunnarは初めての南極旅行の前にかなりの南極に関する文献を買い集めて全て読んだそうだ。)

しばらく北極点に行った時のビデオ(本当にGunnarは泳いでたし、原子力機関を搭載した砕氷船は速い速い!)や南極に関する本を見せてもらいながら、南極談義。そして、彼らの車でのチリ一周旅行(!)などについても話しを聞いた。Zelfaが地元の英語新聞に寄稿した旅に関する記事のコピーもいただいた。また、何冊かの本は特に勧められたし、実際目にして欲しくなったので、日本に帰ったらAmazon.comに注文しよう。

しばらくしてMarcolmもやって来て、再会。彼は南アフリカから今回のツアーに参加、僕や王さんの部屋(449)の隣部屋(447)の住人として風呂場&トイレをシェアした仲だ。まさか彼が来るとは知らなかったのでビックリ。Buenos Airesには明日までいるという。

その後4人で南極や旅行談義。なかなか面白かった。今回のExpedition LeaderのJonasの父親が実はQuark Expeditions社のオーナーであり、そしてJonas(とその家族)はスウェディッシュであるからしてQuarkは実は?スウェーデンの会社であること、南極ツアーとはいえ船のプロペラが氷で壊れ、途中でプログラム内容を変更せざるえなくなり、Cash Backされた時の話、などなど。

話を総合するとQuarkという会社、そして実際ツアーに参加するQuarkのメンバーは皆Nice PeopleにしてWell Organizedであり、そしてVAVILOVという船はとても性能の良い船だ、ということになるらしい。初めての南極ツアーでその組み合わせを選択したのは僕にとってそれはほんの偶然ではあったけど、とにかく恵まれていたってことかな。(実際、ほとんど全てがNo Problemであったといえるし、天候や海況にも恵まれていたと思うし、なによりあの到達の難しいAntarctic Circleにまで行くことができたのだ。)

また、あまり普通の人が行きたいとは思わないような場所への憧憬のようなものについても話しあった。たとえばGunnarは地球上で最も高い場所に登りたい、という。実は、地球自体の地形を考慮するとエベレスト山の頂上が地球上で最も高い場所では無いのだそうだ。(通常、山は標高差だけでその高さをあらわすゆえ、だろう。)また、Marcalmはマチュピチュの遺跡に山の麓からハイキングに行きたい、という。(これは実は僕も行ってみたいな。)

とにかく、皆旅に対する視点が独特で面白い。僕は次に海外旅行に行くとすればギリシャだとは思うけれど、旅の中で話しを聞いたりするうちにフェアリーペンギン(これは世界最小のペンギンで、海から帰ってくる夜にしか見られない。ニュージーランドにも生息。)とイルカの両方に会えるオーストラリアにもすごく興味が出てきたし、今回のツアーでは行っていないけれど、キングペンギンとマカロニペンギンに会えるKing George Islandにもいつか機会があれば行ってみたいなと思う。

あっという間に時間がたってしまい、もぅ午後6時。Marcalmとともに失礼することに。最後に皆で写真を撮る。別れぎわ、ペンギンのステッカーをいただいてしまった。Zelfaには、インターネットを通じてきっと何かお手伝いができると思う、と約束した。I think I CAN help you、それが言いたいことの全てだった。I will let Japanese people know that now it is NOT difficult to visit Antarctica via the internet!

Gunnarから勧められ、しばらくMarcalmとRecoleta地区を散歩。途中、5ドル払ってEVITAのお墓も見学。ここには著名な人々の墓が集められており、皆独特の立派な建物のような構造のお墓が立ち並んでいた。しかし猫が多いこと。しかも子供の猫が山ほどいる。なぜだろう。

MT.DE ALVEARでMarcalmともお別れ。彼にもデジカメで撮った写真をメールに添付して送る予定だ。Have a good trip、と言ってさようなら。

時間は十分にあったので(まだ午後7時だった)、散歩してもよかったのだけれど早目に空港に行っておきたい一心から、ホテルに戻って荷物を受け取る。従業員にこれからどうするのかと聞かれ国際空港に行くためにタクシーをつかまえる、と言うと黄色と黒のタクシーは安全で無いという。僕は既に午後に一度利用しているし、そのときはあまり危険は感じはしなかったので、そんなことは無いだろうと思ったけれど、レミースを呼ぶからそれに乗っていけ、値段も変わらないと熱心に勧めるので手配をお願いする。しばらくロビーで待っているとレミース到着。さっきの従業員と別れ際、南極に行っていたことについて話す。彼は温泉が湧いているという話しを聞いたことがあるけど本当か?と聞いてきたんでそうだよと教えると、えらく驚いて(というか感心して)いたなぁ。

かなりぶっとばすレミースだったけど、無事(だって途中で6台くらいの玉突き事故直後の現場の脇を通り抜けて来たので本当に無事よかった)空港まで到着。あらかじめ確認していたとおり、Highwayの料金所で別途お金を請求されることはなかったし、それらも込みの値段で40ドルだった。

Amrican Airlineのチェックインカウンターには既に超長蛇の列が。8時には空港に着いていたのに、チェックインまでに2時間半も並ばされてしまった。何か夕食に軽く食べたかったし、そもそも喉がかわいていたのだけれど、いったん並んでしまった都合上途中で抜けるのも悔しいし、かといって買い物を頼める相手もいない。一人旅の欠点の一つだなぁ。しかしまったくイライラしてしまった。なんでこんなに効率悪いんだろう、とか思った。藤井隆風に「アンタ達バカじゃないの?」と日本語で叫びたかったね。

チェックインし終えたのが10時半で飛行機への登場開始が10時40分。いそいそとコーラとたいして美味しくも無いサンドイッチ(計7ドル)を腹に流しこんで飛行機へ。

飛行機に乗ってから、明朝のMiami到着まではとにかく寝ようと決めていたから、さっさと寝ようと思ったのだけれど、隣の席のガキが時折僕の足をけったり飛び跳ねたりしてたもんだからなかなか眠れなくてね。イライラがかなり最高潮に達していたのでよっぽど「Kick your father, NOT ME !」とか言ってやろうかと考えていたら(英語が通じる可能性は極めて低いけど)、さすがにその前にそのまた隣に座っていた父親がガキと席を入れ替わったので、おかげで安眠することができた。どのくらい安眠してたかというと、着陸直前の朝食サービスで搭乗員のおっさんに起され、ミルクティーを手渡しながら「オマエずっと寝てたな〜」と笑われた程、である。

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