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奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業——この生きづらい世の中で「よく生きる」ために

奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業——この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』を読みました。

本書では『提要』の中から、印象に残る言葉を章ごとに取り上げ、ユニークな漫画と簡単な解説と共に紹介する。

とあるように、漫画が随所に織り込まれていて、大変読みやすかったし面白かったです。

ストア派の基本戦略は、「我々次第であるもの」と「我々次第でないもの」の境界を正確に見極めて、前者つまり自分の裁量の範囲内にある物事にだけ、自分の欲望の対象を限定することにある。それが、彼らが言うところの「禁欲」なのだ。

まさにニーバーの祈りそのもの、ですね。歴史的には当然ストア派哲学の誕生が先であって、ラインホルド・ニーバー氏が上記の戦略にヒントを得た、意地悪な言い方をすると「パクった」可能性もゼロではない気がする......しかし真理というのは往々にして、完全個別に再発見されるものなのでしょう。

やる気は体調や身体の状態に左右されるが、「意志」はそうではない。エピクテトスが言う「意志」とは、自分が何をしたいと願い、どれを優先し、何をすべきだと判断するか、という熟慮に基づいた判断の最終的な結論

どうもその「やる気」ってのと「意思」の区別がつきにくくて困ります。意思はあるけどやる気がない、という状態は是とすべきなのかどうか? 日頃、メンタルとフィジカルは不可分との前提に立って過ごしているつもりなので、なんかそこに線を引きにくいなって。

モラリストのモンテーニュは、キケロを引いて「哲学とは死の準備をすることだ」と喝破した。

死に興味がある自分がストイシズムに惹かれるのは自然な成り行きなのね、と腑に落ちたフレーズ。そして考えたりするのではなく「準備」という、より具体的なアクションとして定義されているのがまた、素晴らしい。やはり哲学は実践ありきということで。

自分の家族、生命など、これらを自分が所有しているものではなく「一時的に貸与されているもの」と考えると、人生をどう見るかについて、まったく新しい展望が開けてくる。

所有とはすなわち共同幻想である、との発想とつながるくだり。私はいつから所有に対する考え方を変えたのだっけ。『人類を救う「レンタルの思想」―松井孝典対談集』がきっかけだったかもしれないけど、もはや昔すぎて自信がない。いずれにせよ、何かを所有できるなんてことはあり得ないと心得よう。

人間には誰しも自己承認の欲求が潜むから、どこかで自分を肯定したいという無意識の動機が働いてしまう。そのため、良い評判は歓迎するし、悪い評判は無視しがちになり、「見たいものだけ見る」という結果になる。これこそが、自己欺瞞の状態だ。

このくだりを読んで危機感を強くするのは、インターネットが、Webが、SNSが、人類全体を自己欺瞞な状態に導いてやしないだろうか......ということ。じゃあインターネットもWebもSNSも手放すべきかといえば、そうは決して思わないし、何かしら解決策は必ず存在するはずと信じたいのですが。

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