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STOIC 人生の教科書ストイシズム

久しぶりに?読んだストア派哲学の本が『STOIC 人生の教科書ストイシズム』。構成を把握せずに衝動買いしてしまったのだけど、前半のPART1は普通の読み物だったのに対し、後半のPART2は90日間にわたって取り組むことのできる課題が並んでいました。いったん課題には取り組まず、最後まで通読したうえで気になったくだりを覚え書きしておきます。

セネカは勇気を、「たとえつらくても正しい行いをする」ことだと定義する。

勇気の定義なんて、これまでの人生で真面目に考えたことがなかったけれど、この定義には感心させられました。セネカ、恐るべし......いずれ彼の『人生の短さについて』も読まねばなりません。

失敗を犯すのは人間として当たり前であり、こうと決めた道を歩み続けることが重要なのだ。

もういい歳なんだし、見栄を張って失敗を恐れるなんて馬鹿らしい、と思う気持ちがあるいっぽうで、そうはいってもやっぱり失敗は避けたい気持ちも根強くて。寛容さが試されるなぁと。

ストイシズムでは、自分で自分に送る静かな喝采さえあればいい。

自分で自分に送る静かな喝采というフレーズ、気に入りました。そう、喝采は静かなのがいい。周囲、他人からの注目とか称賛を得る必要なんか微塵も無い、と思えるようにならないとね。

自分に何がコントロールできるかを自覚することは、自由の究極のかたちなのだ。

自由という言葉を「自らに由る」と解説していた禅の本を思い出し、禅とストイシズムに共通性を見出しました。自分の内面を掘り続けることの大切さ、という点は完全に共通しているのかも。

他者について性急に判断を下すことはやめたほうがいい。エピクテトスが言うように、正確な判断を下せるだけの十分な情報が揃っていることはめったにないのだから。

上記のくだりは情報の非対称性を指していると解釈しました。お互いが同じ質・量の情報を携えて義論に臨めることなど稀なのであって、その非対称性ゆえに判断を誤ることは十分にあり得ると。

何かをして称賛を得たいという誘惑に駆られたときは、周囲を感心させるためや喜ばせるためではなく、自分の品性を守るために行動するというストイシズムの教えを思い出すといい。

AI全盛の時代を迎えて一層、この自分の品性を守るというのが、重要になるように思いました。社会が激しく変化し続けるからこそ、倫理的なブレのなさを自分のなかに築いていかないと、簡単に品性を損ねてしまいそうで。

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