@kazuhito
Kazuhito Kidachi's Personal Web Site Since 2000

認知症が進まない話し方があった

認知症が進まない話し方があった』、読み終えたのはだいぶ前だけど、覚え書きしていなかったので。たくさんマーカーを引いていましたが、改めて留意したいところを厳選して覚え書き。

話が通じないのも、こちらを困らせる行動も、その人が意図的にやっているわけではなく、認知症の中の一つの症状なのです。

意図的ではない、というのがポイントかなと。基本的には病気の症状なのであって、本人の意の介さぬ可能性が高いと割り切ることで、自分のなかにある寛容さをいつでも柔軟に引き出せるようにしたい。

人と接し、会話を交わすことは、脳への何よりの刺激。認知症の進行を遅らせる効果があります。

本人と離れて暮らす身として上記への貢献は難しいのだけど、今はまだ自分が頑張らずとも自分以外の家族が実践してくれているのは、本当にありがたいと思っています。大して症状が進行していないのは結局、日常生活で必要十分な量の会話がなされているおかげ、と考えられるわけで。

認知症の方と話すときは「相手が話し続けられるように、話す」。

とはいえ、会話を続けるよう頑張りすぎてもお互いに疲れてしまう懸念があるから、そこはバランスなのかなーと。続けられるかどうか、以上に大事だと思ったのは

会話の中で相手(認知症の方)を肯定することは、認知症の方と介護者を結ぶ、大事な絆になるだけでなく、認知症の方が「話したくなる」環境をつくるためのベースなのです。

という考え方で、相手を拒否・拒絶しない、無闇に怒ったり叱ったりしない......みたいなところかなと。なにせ、相手は病気を患っている立場なのだから。そこは認知症を患う前の状態なり会話に執着しないよう気をつけたい。

会話を正しく成立することが必須要件ではなく、認知症の方の孤独感や介護者の気を引きたい思いを満たせればよい

何につけ、正しさ中毒に陥ると碌なことがない......という思いを改めてしました。正しさが必要なケースもあるけれど、やはり執着しないことが肝要かなと。

現在地:ホーム > 覚え書き > 月別アーカイブ > 2025年11月 > 認知症が進まない話し方があった