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お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点

お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点』を読みました。少し前にブックファーストで手に取って、パラパラ眺めて面白そうだったから、Kindle版を買ったのです。

僕自身は中卒の親の家庭から東大に進んだので、周りとの経済格差をはっきり感じていた。

著者は東大の大学院を出てゴールドマン・サックスに入社するような優秀な方なのだけど、ご自身がのちに親ガチャが、かつてよりずっと重くのしかかる時代と記すような昨今ですから、相当がんばったのでしょうね。さもなくば稀によくいる、努力を努力と思わず楽しんでしまう秀才タイプか。

「会社が社員を支える」のではなく、「社員が会社を支える」、あるいは、「社員が会社を通して社会を支える」。

自分はかなり若い頃から上記の発想、いや信念に近いかもしれない、とにかくそういう思いを抱いて仕事をしてきたつもりではいます。どんな仕事も社会を持続可能にすべく存在するもので、会社という組織の必要性なり重要性を殊更に矮小化する意図はないものの、結局その社会貢献を実現するための手段、ロジスティクスでしかない気がして。

人手不足や安泰神話の崩壊を背景に、「役に立つこと」をすれば「稼ぐこと」につながる社会に戻りつつある。

上記のくだり、本書イチ賛同できなかったところです。もちろん「役に立つこと」をすれば稼げる社会であって欲しいし、著者の観測範囲では実際そうなのかもしれませんが、私の見聞きする世界とはだいぶギャップを感じてしまいます。そもそもその「役に立つこと」には何がどこまで含まれるのか?って話ではあるのだけれど、

生活に欠かせない分野で、軒並み人手不足が深刻なのは、仕事の重要性と年収が必ずしも一致しないという構造的な歪みがあるからだ。

という記述と激しく矛盾しているようにも読めたのですよね。その構造的な歪みが解消されない限り、「役に立つこと」をすれば「稼ぐこと」につながる社会なんて、土台無理ではないのか?と。他方、

「老後の不安」は、個人の資産形成で解決する問題ではなく、人口構造という国全体で取り組むべき問題だった。それがいつしか、「個人のお金の不安」にすり替えられてしまった。

というくだりには一定の納得感があったし、本書で得た気づきのなかで最も重要だと思いました。いくらお金があったところで、必要なサービスを享受できない社会に変質してしまっては生きながらえる価値がないだろうし、となると人口構造の是正なくして将来への不安というのは本質的にゼロにはできない。

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