Re: もうみんな“平凡な日常”なんて投稿しない
もうみんな“平凡な日常”なんて投稿しない | WIRED.jpという記事を読みました。定量的にどうかとか、エビデンスはさておき、SNSに生活の何気ない瞬間をアップする──そんなことには意味がないと感じる人が増えている
というのは、然もありなんと感じます。
ソーシャルメディアの誕生から15年以上経ったいま、わたしたちはそこで何を目にしているのだろう? 予算が潤沢で洗練された作品づくりをそれぞれのレベルにおいて目指している無数のインフルエンサーやクリエイターたち、国際戦争における最新の恐怖を伝えるニュース、人工知能(AI)が生成した画像と動画と文章、ユーザーたちの心の奥底にある恐怖を刺激し、しかもプラットフォーム側が事実上黙認している純然たる"荒し"と"釣り"。
残念ですが、上記には同意せざるを得ません。営利企業が胴元のSNSの場合、これに輪をかけてユーザーの反応を引き出し滞留時間を(最終的には胴元にとっての利益を)最大化すべく、表示上のアルゴリズムが調整されている可能性、とっくの昔にメタクソ化(enshittification)している可能性があるわけですからね。まさに可処分時間の奪い合い、SNSに極まれりといった感じ。しかし、そうであればこそ
一般の人たちがいてくれたおかげで、ソーシャルメディアは注意を振り向ける価値のあるものになっていたのだ。そういった人々がいなくなった後には、賑わいの去ったビーチに散乱するゴミ屑のように、乾いた企業マーケティング、AIが生成したクズコンテンツ、そして、減少する一方の覗き見趣味の観衆をマネタイズしようと試みるぎらついた詐欺師たちによるいんちきコンテンツばかりが残されることになるだろう。
という未来予測に、ささやかながら私は抵抗したい。誰かから注目されたり、フォロワーが増えたり、ましてや投稿がバズるなんてことを目指すわけではなく......つまり経済的な、どこかしら資本主義的な成功を動機とするのでなしに、専門化も商品化もしていない、洗練されていない大衆
の一人として、平凡な日常を淡々とSNSで共有し続けたい。暑いとか眠いとか腹減ったとか、くだらないことをSNSに、Webに書き続けたい。もちろん、継続を自らに義務付けるつもりはなく、いつでも気兼ねなくやめていいっていう自由を大前提として。
そしてそれは、オープンなWebを守るための超個人的な取り組みでもあります。オープンなWebとはそもそも何かってのはさておき、yomoyomo氏がMCPが後押しするAIじかけのウェブ、AIが後押しするオープンなウェブの空洞化 - WirelessWire Newsに記した
安価で高速に無限に近い量のコンテンツを生成できる生成AIが、オープンなウェブに情報のゴミの海をもたらす一方で、GoogleがAI Mode(AI検索)に一層注力することで、「Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日」が現実のものとなり、AI企業にデータを食わせるだけの現状に意味を見出せなくなり、価値ある情報の多くがペイウォールの向こう側に移っている現状があります。
という現状分析には深く頷きつつ、いっぽうで古き良き(と私が勝手に思うところの)オープンなWebが失われることに加担したくないというか、むしろ微力ながら抵抗したいのです......黎明期からWebの可能性に魅せられてきた者の権利と責任において。四半世紀以上にわたり運営を続けてきたこの個人サイトは今や、その種の抵抗活動の一環だったりしてね。
@kazuhitoは、木達一仁の個人サイトです。主に宇宙開発や人力飛行機、Webデザイン全般に興味があります。Apple製品と麺類とコーヒーが好きです。南極には何度でも行きたい。アクセシビリティおじさんとしてのスローガンは「Webアクセシビリティ・ファースト」。