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考えすぎない練習

Prime読み放題のリストを眺めていて気になって読んだ『考えすぎない練習』、not for meでした。自分にはちょっと宗教ぽさが強すぎたっていうかな......決して悪い本ではないと思ったし、気づきもいくらかあったのですが。

私たちは現実の世界ではなく、「考え」によってつくられた世界に生きています。

御意。現実の世界といっても、完全に自己から切り離された存在としては成立し得ないわけで......自分の五感を通じで得た情報を、脳が処理した結果としてしか認識し得ない。子供の時分から教えられてきた「物は考えよう」とは、よく言ったものだなぁと。

考える時間を少なくしていけば、やがて一日の大半を思考にとらわれずに過ごし、ほとんどの時間を幸せに満ちた状態で生きられるようになります。

考える時間を少なくというのを切り出し文字通り、額面通りに受け取ってしまうと、なんか思考停止に導かれるかのようで抵抗感が否めませんが。本書が勧めているのはフロー状態に入る、無心になることであって、「今を生き切る」のと同義に捉えるなら賛同できます。

もしお金が無限にあって、すでに世界中を旅していて、何の不安もなく、自分のしていることが特に誰の評価の対象でもなかったとしたら、私は何をするだろうか?何を生み出すだろうか?

なかなか興味深い問い。もちろんお金が無限にあってとか、そんな状態には決してなり得ず、純粋に思考実験でしかないけれど。人生の残り時間の使い道と真摯に向き合わないと、この問いに対する答えは出せないからなあ。

ピアノに間違った鍵盤がないように、正しい決断も間違った決断もありませんが、前後関係によって、他のものより心地よい決断や「鍵盤」はあります。

上記のくだりにあまり納得はしていないものの、ピアノの鍵盤という比喩がちょっと新鮮だったので覚え書き。

苦しみの悪循環と、人生で繰り返してきた自己破壊的パターンを断ち切りたいなら、何か違うことをしなければなりません。

御意。しかしそれと頭では理解していながら、なかなか行動に移せず、自身を変革できないままに陥りがちなのもまた、人間らしさの一端だと思ったり、思わなかったり。

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