心穏やかに生きる哲学 ストア派に学ぶストレスフルな時代を生きる考え方
何きっかけで本書を知ったか忘れましたが、ふとPrime読み放題に選ばれていたのに気づき読了した『心穏やかに生きる哲学 ストア派に学ぶストレスフルな時代を生きる考え方』、素晴らしかったです。田坂広志先生の著書や講演を出発点として、いつからか禅の世界に興味を抱き、そしてたどり着いたのがストア派哲学とは......年齢的に、あるいはタイミング的に、必然的な巡り合わせを感じます。
ストア派において何よりも素晴らしいと私が称賛するのは、「人類社会に対する透徹したまなざし」です。
透徹、ですか......本書を皮切りに何冊かやさしめのストア派哲学関連書籍を読んでみようと思っていますが、その体験を通じて上記と同じ想いを自分も抱けたらありがたい。
現代の文化はあまりに未熟で、死と向き合えずにいる
死に関する別の本で、現代においては日常生活のなかで死を目にしたり感じることが難しくなっているという指摘がなされていたのを思い出しました。誰もが不可避な死を極度に避け、あたかもそれが実在しないかのごとく日常を作り出すのは確かに未熟な社会、文化、文明なのかもしれません。
札束を手にしたら、私はそれをそのままゴミ箱に突っ込むでしょうか? いいえ。でもどういうわけか、私は自分の時間をネットで食いつぶし、考え直すこともないのです。
うわー耳が痛い笑。しかし痛いということは、素晴らしく的を射た指摘だということ。ストア派は時間を重視し、唯一の真の通貨であると見なしていました
というのもまた、実に興味深くて。時は金なり、とは何度となく言い聞かされてきたハズなのにね。
マルクス・アウレリウスはこう書きました。「宇宙とは変化である。人生とは自分の思考が作り出すものだ」
宇宙とは変化
、そんな定義は初耳だったと思います。長年、違う定義に慣れ親しんできただけに正直、違和感は拭えません。概ね「宇」と「宙」に分解のうえ、時間&空間というふうに解釈してきましたから。でも、宇宙イコール変化というのは理解はできるし、きっといずれ納得もできると感じます。
ストア派は「好ましいが関心は持たないもの」という分類に富・健康・名声などを含めました。
富と名声はともかく、健康を含めることには当初、抵抗感がありました。なぜなら、富や名声と比べ健康は遥かに自分でコントロールしやすく、実際私はコントロールできているものと思い込んでいたから。でもよく考えてみれば、病気や怪我を患っていないのは単に幸運でしかないし、死と地続きの身体特性と捉えればこそ、コントロールしやすい/できるなんて到底、思えなくなります。
自分が完全にコントロールできるものだけから幸せが生じるように訓練すれば、幸せは確実に手に入れられます。
本当にこれ。この年齢にしてなお、上記の訓練が自分には足らなすぎます。
セネカいわく、「私たちは悪い人間の中で生きており、自分もその同類である。自分を落ち着かせる方法はただ1つ—すなわち、互いに相手を大目に見なくてはいけない」
上記に関連して自分の悪い癖は、まったくもって思慮浅く根拠も脆弱なくせに自分のほうが圧倒的に正しく、間違っているのは相手である、と思い込んでしまいがちなところ。いい加減、この馬鹿げた癖から卒業しないといけない。
大事なのは生きている間に何をしたか、自分の品性、そして与えられた人生の時間を最大限活用したかどうか
品性、という単語が本書では繰り返し登場しました。それこそはストア派の人々が大切にした要素の1つであり、そして今の自分が真剣に高めなければならないもの。しっかりコントロールしなければ。
@kazuhitoは、木達一仁の個人サイトです。主に宇宙開発や人力飛行機、Webデザイン全般に興味があります。Apple製品と麺類とコーヒーが好きです。南極には何度でも行きたい。アクセシビリティおじさんとしてのスローガンは「Webアクセシビリティ・ファースト」。