人生の経営戦略
割と最近読んだ『人生の経営戦略——自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』は、1月に発売された本らしいけど、今なお書店店頭では比較的目立つ場所に置かれてます。
現実の社会は均衡のゼロ成長へと軟着陸しようとしているのに、制度や規範は高成長への離陸を目指す社会のまま、という「つなぎ目の社会」に私たちは生きている
上手い表現だな、と思いました。その板挟み感というのは、現代を生きる全ての人々にとって、個人差はあれ少なからずストレスをもたらしているように感じますね。同時に、これは経済・社会・環境の3層のあいだにある摩擦の「見える化」とも映ります。
「自分らしさ」という目標は、一定の経済的・社会的基盤があってこそ獲得できるものであり、それだけをナイーブに目指して得られるほど「人生というプロジェクト」は容易ではありません
否が応でも現行の経済や社会の一部となって生きていかなければいけない以上、常に「自分らしさ」の経済的・社会的側面は意識せざるを得ないし、ときに「自分らしさ」をどう変えれば経済的・社会的価値を得られるかっていう思考は避けがたくも感じます。
時間資本を適切に配分することで持続的なウェルビーイングの状態を築き上げ、いつ余命宣告をされても「自分らしい、いい人生だった」と思えるような人生を送る
ごもっともですが、しかし誰しも明日の命すら保証されていない以上、短期思考と長期思考のあいだで揺れ動きながらも、最終的には前者に寄せて(たとえば今日一日を良く生きることだけに集中して)行動せざるを得なくなるという。それもまた人生を経営するのに避けて通れぬ矛盾の1つ、ですわな。
考えた通りに生きなければならない。さもないと生きた通りに考えてしまうから。
ポール・ブールジェという人の言葉として引用されていたのですが、初めて目にした気がします。フランスの批評家、作家
、ですか......いや実に面白いし、含蓄を感じます。考えることと生きること、はそもそも因果関係にあるのか? 包含関係にはないのか? とか、あれこれ考えたくなります。基本的には行動をもって思考を裏付けたい派ですが。
社会で評価されるのは「平均点」ではなく、他人には真似のできないユニークさだからです。そしてこのユニークさは、往々にして本人が考える「欠点」と表裏一体
長所と短所は紙一重、過ぎたるは及ばざるが如し......的には、よくわかるお話。ただ人は皆、本質的にオンリーワンであるからして、何をもってユニークと捉えるのか、またそれが何をもってして評価されていると考えるかは、この歳になっても未だよくわからず。「差別化」という言葉もカジュアルによく使ったり聞いたりしますが、よくよく考えると厄介な言葉。
人生の経営戦略において重要なKPIは「打率」ではなく「打席数」
上記はアウトプットの大切さを説く文脈で出てきたフレーズ。数打ちゃ当たるとは言いますけど、そもそも当てるためには数を打たないと話にならない、と。