田坂広志 人類の未来を語る
田坂広志先生の著作で、だいぶ前に読み終えていたけど覚え書きはしていなかったなかから、『田坂広志 人類の未来を語る~未来を予見する「12の洞察」~』より、いくつか引用。
これから人類が築くべきは、「いつ、いかなるパンデミックが到来しても、人々の安全と安心を十分に確保しながら、必要な経済活動が続けられる持続可能な社会」
パンデミックは必ずや再び訪れる、というお話は他の著書や講演でもされていますが、アメリカに続きアルゼンチンもWHOからの脱退を表明、ひょっとすると同様の動きが今後広がるかもしれない状況において、いざパンデミックが再発したらどうなるかは、真剣に考えておくべきなんでしょうね。別にWHOの存在意義を盲信しているわけでもありませんが。
パンデミック危機は、経済危機とは異なり、そうした「弱者を犠牲にする」ことによって乗り越えることはできない危機
パンデミックは人類に与えられた「連帯テスト」(Solidarity Test)
ともあって、なるほどなーと。当然ウイルスは富裕層と貧困層の別を問わず感染するものだし、いずれの立場をも分け隔てなく巻き込んで社会問題化したのは実際に目の当たりにしましたからね。パンデミックへの対処がより良い連帯に繋がる可能性には、希望を感じたくもなります。
21世紀に人類社会が直面する深刻な数々の危機、地球温暖化、環境破壊、資源枯渇、エネルギー危機、水資源不足、食糧危機などの解決のためには、すべて、「未来の世代の利益を大切にすることが、現在の世代の利益にもなる」という意味での「合理的利他主義」の思想が求められる
まったくもって御意なんですけど、しかし「未来の世代の利益を大切にすることが、現在の世代の利益にもなる」ことを証明するのは極めて困難に感じており(そもそも「未来の世代の利益」を定義できるだろうか)、そうであるがゆえ上記の合理的利他主義への理解なり賛同を社会的に広げていくのは不可能に近い......という感想を、どうしても抱いてしまいます。これより後に
もし、我々が、この「ステークホルダー資本主義」という考え方を真に追求するのであれば、この「ステークホルダー」に必ず入れるべき人々がいる。それは、「未来の世代」である。
ともあって、それはそれで非常に美しく魅力的な考え方ではあるのですが、想起されるのは『閃光のハサウェイ』に登場するタクシー運転手の台詞「暮らしって そんな先 考えてる暇はないやね」。今日を生きるのだって精一杯という人が少なくない(もちろん私自身にもそういう側面はある)世の中に、果たして本当にそんな夢みたいな資本主義を実装できるだろうか?
人類の未来を大きく左右する遺伝子工学やデザイナー・ベイビー技術を、正しい形で発達させ、利用していけるか否かは、技術の問題以上に、世界全体での民主主義と資本主義の成熟の問題に、大きく依存している
とすると、技術のありたい姿にも、時間をまたいでの包摂性というのが実は大きく関係してきますよね。それはつまり倫理観の話でもあるわけで......などと考え始めると、もはや私の脳味噌ではお手上げ感。AI技術にしたって、それにまつわる倫理の開発とか教育が後回しになっている印象が個人的には拭えず、結局のところ技術の暴走を止めることは不可能との印象が強いです、残念ながら。
国民の意識が近眼視的、即物的、自己中心的であるかぎり、成熟した民主主義は実現できない
まさに「近眼視的、即物的、自己中心的」の3つの「的」を解消しないと、将来世代をも包摂した資本主義なり民主主義なんて実現できっこないよなと。そんな課題に対して、私のような市井の個人にできることは何なのだろうか......そして今日もまた謎の行き詰まり感。