教養を磨く
田坂広志先生の著作で、だいぶ前に読み終えていたけど覚え書きはしていなかったなかから、『教養を磨く 宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで』より、いくつか引用。
人間関係が壊れるのは、ほとんどの場合「自分のエゴの視点」を「正しい基準」であると思い込み、相手の言動を「間違っている」と批判し、非難し、ときに、嫌悪する状況に陥ってしまうから
自分にはまだまだ「相手のエゴに処する力」はおろか、「相手のエゴの思いや叫び」を理解する力を身につけていないのだなと、痛感させられます。自身のエゴにすら適切に処することができていないのだから、然もありなんですけど、修行を続けなければ。
仏教者の紀野一義師は、若き日に、「明日死ぬ、明日死ぬ、明日、自分は死ぬ」と思い定め、その日一日を精一杯に生き切るという修行をした。
今を生き切れ、というお話は田坂先生の講演や著書によく出てきますが、紀野一義師の名前が登場するのは本書くらいのものだったかな? という印象。Amazonで調べたところ、Kindle版の著書もいくつか売られているようなので、何冊か読んでみようと思います。
パンデミック危機は、経済的弱者=貧困層をも決して見捨てることなく救済する包摂的・人道的社会システムを築かないかぎり、決して乗り越えていくことはできない
トランプ氏がアメリカの大統領に返り咲いたことで、社会の包摂的・人道的側面への風当たりが強まっているけれど、それもいずれ必ず収まり、逆への揺り戻しが訪れると信じたい。所詮、地球という閉鎖環境のなかで暮らす者どうし、部分最適に偏って生き続けられるわけがないのだから。
世界は、人流、物流、金流、情報流のグローバリゼーションが進み、いずれ、一つの巨大な経済圏になっていく
物流、という言葉はもちろん耳馴染みがありましたが、金流とか情報流というのは初耳かも。トランプ政権の再誕で、グローバリゼーションにも逆風が吹いている認識ですけど、それとてどれだけ長く続くか見ものだなとは思います。結局のところ、エントロピーの増大からは誰しも逃れられまいて!!
「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって、解決することはできない」このアインシュタインの言葉のごとく、「現代の資本主義」を生み出した「現代の経済学」の考え方の延長では、「新たな資本主義」を構想することはできない。
アインシュタインの言葉を借りてくるあたりが、物理学を専攻してらした田坂先生らしく、素晴らしいなと。上記のあたりも、現行の社会や経済の次を考えるうえでは肝に銘じておきたいところだし、事物の螺旋的発展の法則なり弁証法と組み合わせることで、新しいものの見方なり考え方が得られそうな気が。
「死」があるからこそ、「生」が輝く。そのことに気づいたとき、人生の風景が変わる。そして、この人生を生き切る、覚悟が定まる。
まだ、人生の風景が変わったとは思えていません、残念ながら。つまり、自分はまだ死生観を定めきれていないということ。それだけ平穏無事な日々を過ごせている、と言えるかもしれないし、その日々にあってなお修行が足りない、とも。