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エフォートレス思考

買ったのは今年3月、読み終わったのはいつか記憶にない、『エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する』の覚え書き。著者は、かつて2015年6月に読んだ『エッセンシャル思考』と同じ方。

完璧主義や自信のなさは、大事なことに取りかかるのを遅らせ、正しいタイミングで終わらせることを難しくする。

自信のなさについてはピンと来なかったけれど、完璧主義については、本当に「それな」という感じで腑に落ちます。完璧にこだわるあまりに、準備が不十分だの何だのと始めるのを先延ばしにしたり、まだ頑張れる!!みたいな理由をつけてズルズル終わらせなかったり......身に覚えがありすぎます。

私たちは大事な仕事に持てる時間とエネルギーのすべてを注ぎ込み、時には心の健康さえも犠牲にする。まるで自己犠牲にこそ価値があると言わんばかりだ。

アーアー聞こえなーい笑。耳が痛くてもげそうだわ。いや実際、10〜15年くらい前の自分ってまさにその自己犠牲にこそ価値があると言わんばかりな生き方を好んで選択していた気がしますよ。その呪縛からは既に解放された認識だけれど、当時に起因する苦しみとは今もなお、付き合わざるを得ない......つらいね。

「困難な仕事をなんとしてもやり遂げてみせるぞ」と意気込む代わりに、「どうやったらこの仕事がもっと楽になるか?」と考えてみる

これは禅の言葉でいうところの「遊戯三昧(ゆげざんまい)」に通ずる考え方かなと。どうせやらなきゃいけないことなら、どうすれば楽しんでやれるか考えよう、みたいなノリね。しかし若い頃って私に限らず、そういう境地になかなか達しにくいものじゃないかな。どうしても肩に力が入りやすくて。

頑張ることがよいことだという価値観は、無意識のレベルで私たちの心に刷り込まれている。楽をするのが後ろめたく感じるほどに、努力の価値は過大評価されている。

うはー、これまた痛いところを突くなーという感じ。最後の努力の価値は過大評価されているってくだりが、真面目さしか取り柄がない、真面目を売りにしてきたようなタイプの私にはグサグサ刺さりますよ。いやでも真実そうだしね......ただ闇雲に努力したところで、評価されっこないわけだし。

多大な犠牲を払って成功した人々と同じくらい、簡単に成功した人々もいる。ただ、苦労の少ない成功は、物語になりづらいだけなのだ。

しかしねぇ、ストーリーテリングなんていう手法が世に存在する程度に、人は誰しも物語に魅せられるものだし、憧れもしますから。あるいは、努力に比して得られた成果が期待ほどではなかったときの保険として、物語を求めてしまう側面もあるかも。それはそれで呪いの一種、なのかしらね。

重要なことと楽しいことを結びつけるのは、とても強力な戦略だ。楽しいことなら、放っておいてもやるものだ。

本書のタイトルにあるエフォートレスって、結局、上記のくだりですべて言い尽くされているような気がしますね。本当に重要なことならば、勝手に身も心も動いてしまうくらい、それを楽しいことと思い込めばいい。ホント、ただそれだけですわ。

自分を傷つけた人に対するネガティブな感情を、手放してみよう。相手を自由にするためではない。自分自信を解放するためだ。

道半ばではあるけど、これも、だいぶ実践できるようになりました(当社比ならぬ自分比で)。その種のネガティブな感情に固執する限り、ずっと苦しみ続けるのがはっきり分かったからなぁ。自分自信を解放するためとは、まさに言い得て妙。

1959年、イギリスの実業家ヘンリー・クレーマーは、誰もが人力飛行機を利用できる未来を夢見ていた。

まさか、こういう自己啓発本で唐突に人力飛行機の話が出てくるとは思わないから、驚いたし感動しました。ポール・マクレディの話がこのあと続くんだけど、いや実によかったです。決してそれがメジャーなエピソードとは思わないんだけど、著者はどこで聞き知ったのかが気になります。

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