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複雑系の知

本日、覚え書きをする田坂広志先生の著書は『複雑系の知:21世紀に求められる7つの知』。

もし、読者が、複雑系というものの代表例を見たければ、「カオス」や「人工生命」などの書物に目を奪われる前に、なによりも自らの姿を鏡に映して見るべきである。

実に言い得て妙。生物学的にも、それ以外の観点においても、複雑系の最たる例は自分自身というわけです。灯台下暗し......。

これからのインターネット革命によって、ますます複雑系としての性質を強めていく社会が、これから、どのような問題を我々に投げかけ、その問題に対処するために、いかなる知のパラダイムの転換が求められるのかを明らかにする

出版されたのが1997年、というのを踏まえると、本書の目的として掲げられた上記は、実に素晴らしいなと。四半世紀が経ったいま、創発、自己組織化、不連続といった複雑系の代表的な特性は、まさにネットによって社会実装されてきた実感があります。

われわれの生きる宇宙、地球、自然、人間、社会など、すべての世界の本質が関係性であり、世界とは「関係性のネットワーク」にほかならない

木を見て森を見ず、という諺がありますが、そのことをも包含して聞こえますね。今後ますます、木と森の両方を適切に捉えることができているか、に意識的でありたいと思います。ふと、切り取り報道に対する処し方として有効な姿勢でもあるかもな、とも思いました。

ドーナツの穴を描くためには、ドーナツの本体を描かなければならない。この本体(論理でつかめる世界)を描ききったとき、初めて穴(論理でつかめない世界)を描くことができる

上記は、論理を究めてこそ洞察力や直感力を身につけることができる、という文脈で出てくる比喩。ここも上手いなあ、と唸らされました。洞察力や直感力を非論理的な存在として括り、かつ論理の世界と二項対立的に捉える限り、絶対に出てこない発想。

たんなる情報共有を超えて情報共鳴が生まれてこそ、初めて、社会の創発が促されるのである。

ネットは確かに社会を変えたけれど、情報共鳴を生むレベルでかっていうと、正直そうではないような。まだ、情報共有のレベルでしかない気がするし、情報共有から情報共鳴へと至るプロセスの最中にあって少なからず一種の摩擦、生みの苦しみのような状況に面しているように感じます。

革命という言葉の意味が、「起こす」ものから「起きる」ものへと変化してきた

このくだりも、ある意味、本書で感動的なフレーズでした。革命的でない事物に対してすら革命と称される程度に、今や革命という言葉自体が消費され、すっかり使い古された印象がありますけど、あとから振り返ってみて初めてそれが革命的だったかどうかの評価が可能な時代に突入しているっていうか。

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