あやうく、未来に不幸にされるとこだった
著
購入した動機をさっぱり覚えていない、『あやうく、未来に不幸にされるとこだった』について覚え書き。たぶん、紀伊國屋で立ち読みして気になったのがきっかけだったと思います。
「未来をあれこれ想像して不安になること」は、ごく一般的なこと、誰でもそうです。そして、この不安のために、自分自身を守ろうと、ほとんど無意識に「〜であるべき」、「〜でなければならない」という厄介なルールができてしまいます。
以前の私は、今にして思えば異常にこの「〜であるべき」、「〜でなければならない」という思いが強く、理想が高めだとか、無駄に完璧主義っぽいとか、いくつか思い当たる要因はありました。しかし、未来に対する不安もまた要因だったかもしれない、というのは発見でした。不安を回避したいあまりに、妄想をたくましくしてしまうわけね。
「ストレスなく接することのできる人」が、あなたの周りに、3割もいれば十分でしょう。逆にいえば、7割くらいの人をうっすら嫌いなわけですが、それでも十分に立派な大人の態度で生活できていると思います。
自分は、そんなに多くの人を(うっすらとすら)嫌っているつもりはないのですが、面白い。まぁでも「ストレスなく接することのできる人」の定義、ストレスの程度次第か。人間関係には恵まれているほうと信じているので、5割近くはいる気がするけど、うんと判定条件を厳しくしたら、どうだろう。3割もいるかどうか!?
まず自分へ向けた完璧主義を改める必要があります。自分が頑張っているのに、相手が頑張っていないと腹を立ちかねないので、まずこちらが先に手を抜いておくわけです。
手を抜いている自分を棚に上げて誰かに腹を立ててしまうことがあるのが、本当に嫌なんだよなぁ。相当、人間が歪んでしまっているとしか思えない。それを放置し続けてきた結果として今の自分があるわけだから、少しでも修正していかないとこの先、本気で生きていけないわ。積極的に自分を許し、相手も許そう......。
「自分勝手」とは、他者を考慮せずに行動する態度。一方、「ワガママ」とは、自分の意見を一度ははっきりと言う態度です。
ワガママってそういう意味だったのか、という気づきがありました。その意味だと、途端にワガママが何か良いことに思えてくるから不思議。少なくとも、自分勝手より遥かにマシに思えてきます。目指すなら、自分勝手ではなくワガママ。