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Re: ティム・バーナーズ=リーのオープンレターを起点に改めて考えるインターネットの統治

yomoyomo氏の書いたティム・バーナーズ=リーのオープンレターを起点に改めて考えるインターネットの統治、たいへん読み応えがありました。Tim Berners-Lee氏の書いたMarking the Web's 35th Birthday: An Open Letterは、公開されたその日に読んでいましたけど、そのとき感じていたことの一部が言語化されており、スッキリもしました笑。

個人的に彼の認識は妥当と思いますが、一方で2016年に立ち上げられたSolidが、現在まで大成功とは言えない状況が続いているのも確かです。

実際、今回のティム・バーナーズ=リーの文章を取り上げた日本語メディアは、ZDNET Japanなどごく少数だったりします。それが現在の彼に対する期待を物語っていると書くと怒られるでしょうか。

yomoyomo氏が翻訳してくださったおかげで、Berners-Lee氏の件の文書は今や日本語で読めるわけですが(ウェブの35歳の誕生日を祝う:オープンレター(Marking the Web's 35th Birthday: An Open Letter 日本語訳)参照)、結局Solid推しってところにポジショントークみを感じざるを得ず、それが取り上げたメディアの少なさの理由だったりしないかなと思ったり、思わなかったり。

ウェブの発明者としてのティム・バーナーズ=リーは、人類に多大な貢献をした偉人と称えられてしかるべきです。しかし、だから以後もずっと「重要」であり続けるわけではありません。

Webが存在しなければ、今ごろまともにご飯を食べることもままならず、路頭に迷っていたかもしれない......という意味では、私はBerners-Lee氏を尊敬どころか崇拝さえしている気がするけど、しかし上記で指摘されている点は御意。とはいえ、Webの発明者としての発言力(ないし政治力?)には今後も期待したい気持ちが正直あって......フクザツ。

アニュ・ブラッドフォードは、新刊『Digital Empires』において、インターネットに関する法律を、新たな多極世界でのグローバルパワーを巡る広範な闘争の一部と見ており、米国の「市場主導モデル」、中国の「国家主導モデル」、そして欧州の「権利主導モデル」(米国と中国の中間を模索)の大きく三つに分類しています。

この分類は、とても分かりやすいですね。そして、もし自分が三者択一を迫られたら、消極的に権利主導モデルを選ぶ。市場に委ねたところで碌なことなさそう、というのは経験的に薄ら認識しているし、国家という器?には長いこと(リアルタイムで『沈黙の艦隊』の連載を読んでいた頃から笑)疑念を抱いてきたから。それゆえ、Digital Markets Act界隈の最近の動きには注目しているし、Open Web Advocacy超がんばれ。

結局のところ、インターネットのアーキテクチャは民主主義という価値観を反映しており、そしてそれを良いことと考える「ネット原住民」的価値観を自分が当然のものと考えていたのを認めざるをえません。しかし、一田和樹氏などがたびたび指摘するように、世界的に民主主義が後退し続けている現状を考えれば、自分のそうした価値観がマジョリティだと思い込むことも危険です。

たまたま今朝、米国は新たな内戦の瀬戸際にあるのかというニュース記事を読み、「加速主義」なる言葉を知って頭が軽くクラクラしたのだけど......どうしたものか。宇宙とインターネット、この2つの地政学的影響が相対的に低い領域をうまく使いこなせるようになれたら、人類文明の成熟なり次のステップが朧げながら見えてきそうなんだけどなあ、それより前に地球環境が壊れちゃうのが先なんだろうか。

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