直観を磨く
著
本日、覚え書きをする田坂広志先生の著書は『直観を磨く 深く考える七つの技法』。ChatGPTがもてはやされるより前の2020年に発売された本ですが、のっけから
「論理思考」と「知識活用」の能力だけで「考える」ことをしている人材は、AIに淘汰されてしまう
というふうに、今日を予見されていたかのよう。前者の論理思考については、「二項対立」的な思考法であるがゆえに複雑かつ混沌とした現実に対処することが困難としたうえで、それに代わる思考法として弁証法をオススメしています。やはり、弁証法に行き着くわけね。その点を含め、論理思考を超えた思考法として紹介されてるのは以下の7つ。
直線論理だけで考えない
→「循環論理」の思考法
二項対立構造で考えない
→「対立止揚」の思考法
個別問題だけを考えない
→「課題回帰」の思考法
狭い視野の中で考えない
→「水平知性」の思考法
文献知識だけで考えない
→「体験知性」の思考法
自己視点だけで考えない
→「多重人格」の思考法
直観の力を用いて考える
→「自己対話」の思考法
会議での議論が壁に突き当たったときには、しばしば、「橋のデザインを考えるのをやめよう、河の渡り方を考えよう」と述べ、メンバー全員が、こうした「課題回帰」の思考、すなわち、「解決の方法」ではなく、「解決すべき課題」を考えるという原則に戻ることを促している。
上記のくだりは、なんとなくレビット博士の例の「ドリルではなく穴を売れ」という話に似て聞こえました。本書で引き合いに出されているのは、エレベーター不足に鏡で対処っていうエピソードで、これまた有名な逸話ですが。目先の話にとらわれ過ぎるな、というアドバイスかなと思います。
人間関係が上手くいかない人は、自分の視点だけで物事を考え、相手の視点に立って物事を考えることや、誰か他の人の視点に立って物事を考えることが上手くない人であることが多い。
......耳が痛過ぎてもげそう。
「苦労」の経験が与えられたとき、ただ、それを嘆き、悔い、忌避しながら、やり過ごすのか、それを「他人の視点」を学ぶための好機と思い、その時の自身の苦しさや辛さ、悲しさや寂しさといった「心の動き」を見つめるのか、そのいずれを選ぶか
極論、苦労というのは、自分以外の誰かの視点・視座を獲得するのに不可避というか必要だったわけか。