高学歴親という病
著
『高学歴親という病』を読みました。
自分の受けた教育がすべてではないし、自分の受けた教育がお子さんにとっても最良だとは限りません。
これは頭では分かっているつもりだし、自分の成功体験の押し付けにならないよう気をつけているつもりでもいるのだけど、本当に難しいなと思っています。もっとも最近は、(折角やりたいことを見つけてるんだから)応援するだけの味方でいられればそれで良しと思うようにしていますが。
多くの親は子どもを自由に泳がせることができない。自ら考える力、課題解決力や主体性を、実はわが子に植え付けていないどころか奪っているのではないか。
例によって「要はバランス」とは思うのだけど。結局、自分が見聞きした時代と、今まさに子どもが直面している時代とでは色んなことが違いすぎて......その表層的な? 違いに左右されない、普遍的なところをうまく身につけられるようにできたらいいんだけど、匙加減がまた難しい。
自分は親にスパルタで育てられたが、その教育のおかげでここまで来たという「生存者バイアス」がありました。サバイブ(生存)した、つまり何らかの苦しみを乗り越えた自身の感覚のみを基準として判断してしまうので。
うう、耳が痛くてもげそう。冒頭で書いた自分の成功体験の押し付けの正体が、まさにその「生存者バイアス」なんですよね。しかも子どもに対して良かれと思って(それは当然そうなんだけど)そういう教育を是とするものだから、タチが悪い。この難しさを実感できただけでも、親になる価値はあったと言えるでしょう。
親たちは皆、先回りをして過度に世話を焼いていました。先回りをするのは、自分の子どもを信頼していないからです。
そうはっきり断言されてしまうとぐうの音も出ませんが、ただ言い訳としては、自ら考える力なり課題解決力、主体性の無さから子どもの負う傷が、必要以上に深傷にならないようにしてあげたいって思うんですよ。必要以上の深傷というのは、つまり将来的に挽回が難しいレベルのって感じだけど。
「子育てとは、子どもへの心配を信頼に変えることです」講演やセミナーで、いつもそう伝えています。
心配を信頼に。良いフレーズですね、頑張ります。