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パーパス経営

名和高司氏の『パーパス経営—30年先の視点から現在を捉える』を読了。話がやたら長く冗長で、日本が大好き&言葉遊び(資本→志本 だの、守破離→習破離 だの)が大好きっぽいところが正直、性に合いませんでした。

しかし、基本的に面白く勉強になったし、既存の資本主義や還元主義、二元論に対する反抗心みたいなところは賛同できるので、他の著書も今後読んでいきたいです。ちなみにマーカーを引いた箇所が多すぎたのか、デスクトップ版のKindleアプリでノートブックを表示させることができずにいます。Kindleアプリのバグかしら?

資本主義はアダム・スミスの真の意図に反して、哲学や倫理のような「非科学的」なもの(まさに「外部経済」)に背を向けて進化(退化?)し続けてきた。そのツケが「合理的な愚か者」を生み、「成長の限界」への盲目的な行進を生んだ。

「非科学的」とあるけれど、測れない(測りにくい)ものを切り捨てまくり、わかりやすさ偏重主義ともいえるかな? とにかくそういう方向に突っ走ってきた結果、経済はもちろん社会も環境もボロボロになった、という風に解釈しました。物事は分ければ分けるほど、分からなくなるというのにね。

二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という名言で知られる。

名言なんですね......不勉強ゆえ自分は初耳でした。しかし軽くググったところ内村鑑三の著作「代表的日本人」や講演から生まれたという説もあるようで、本当のところはよくわかりません。まぁ誰の言葉だろうと、素敵なフレーズだなと思いましたが。

経済価値と社会価値はトレードオフ(二項対立)になりやすい。これをトレードオン(二項合一)にするためには、イノベーションが欠かせません。

トレードオフな関係をトレードオンにひっくり返す流れ、どことなく二元論への反抗という側面を感じます。より高い視座から分解能を維持したまま俯瞰することにより全体最適の道筋を見出すっていうかな。結局、TBL(Tim Berners-LeeではなくTriple Bottom Line)とて要素分解して考えないほうが良いし、分解せずに思考できる文脈なり価値を発見すべき時代なのだと解釈。

それが経営にとって意味のある投資であれば、将来の財務諸表にプラスとなって反映されるはずだ。つまり、「非」財務指標ではなく「未」財務指標でなければならない。

とても興味深い考え方。外部経済化され、ゆえに従来の損益計算書に載ってこなかった要素をどこまで風呂敷を広げて取り込むか次第ではあるけれど。

企業も生態系のサステナビリティを維持し続けるためには、この動的平衡をエコシステム全体で保ち続けなければならない。そして、顧客や他の事業者にとどまらず、社会、地球や宇宙など、より幅広い生態系を視野に入れなければならない。

動的平衡という概念も、どうやら著者のお気に入りの印象。まぁ私も好きなんですけどね!いや静的平衡なんて考え方がそもそもあり得ないというか、時間軸において変わらない事物なんてこの世に一つもないし。シュレーディンガーの『生命とは何か』とか、福岡伸一氏の著作を読みたくなりました!!

世界が一つだというのは、幻想にすぎない。今後も政治的、民族的、宗教的、思想的分断は続くだろう。しかし、だからといってそれを放置するのではなく、分断された世界を再統合していく知恵が価値を生むのである。

Mastodonを使い始めたことで、中央集権型から分散型にようやく? 自分も目覚め始めた今日この頃ですが、そのどちらが正とかではなく(そういう発想はそもそも二元論の罠に陥っている)、宇宙の真理=エントロピーの増大を前提にどこまでどう繋がるか、どれだけ同じプロトコルでコミュニケーションできるかにこそ価値を見出すべきなんでしょうね。

単なる自己満足でも、当たり前の正義(客観正義)でも意味がない。その企業ならではの「主観正義」が世界各地で熱く語られ、自分ごと化されていなければならない。

基本同意ですが、しかし主観正義を突き詰めた結果として客観正義、ないし客観正義と五十歩百歩なパーパスが炙り出されたら、それはどう受け止めればいいんでしょうね。もっとも何が客観正義かとて、世の趨勢とともに変わり続けるものでしょうから、完全一致は起こり得ないと思いますが。ここで問われるべきはそれぞれの正義との距離感かなーと思いました。

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