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Web日記は止まるとか止まらないとか

Web日記は止まる - laisoを読みました。

ブログを熱心に書いていた書き手がフェードアウトしてしまう問題については、家庭や職場環境が変化すると活動にさける時間が変わるのかも----というのは一般的に言われてもいるしそのとうりだと思うけど、自分としてはブログを書いて得ていた体験が、社内やクローズドな環境で起こる別の行動によって満されてている、という状況があると思っている。

月別アーカイブ | 覚え書き | @kazuhitoを見れば一発でバレる、もとい分かることですが、現存する限り1999年10月以来続けてきたこの覚え書きでも、地味にフェードアウトしていた期間というのがあって、具体的には2005年9月から12月のあたり(たったの3ヶ月やそこらか、というのはさておき)。

ただ自分の場合、その前後で家庭や職場環境が変化するとか社内やクローズドな環境で起こる別の行動によって満されてているなんてことはなく、ただひたすら本当に記事を書く時間的・精神的余裕を失っていただけ、という気がします。そしてWeb 日記は止まらない - @kyanny's blogも読んだのですけど

おれはインターネットにテキストを書かずにはいられない人間で、これを禁じられたら精神に失調をきたすこと間違いなしと思う。なので逆に書かずにいられる人たちのことが正直いうと信じられない。

書かずにいられる人たちのことを信じられるけど、しかし自分も多分インターネットにテキストを書かずにはいられない人間なのだろうという自覚があります。もっとも、この記事をお書きになった@kyanny氏とは、熱量にだいぶ開きがあるとは思いますが......でも間違いなく、人類を二分するなら同じ側に類別される自信があります。というのも

インターネットにテキストを公開することにこだわるのは、検索エンジンやインターネットアーカイブなどにキャッシュが残るとか、実データは消えても読んだ人の記憶に残るとか、めし書き手のおれがテキストを消すという暴挙に出たとしてもテキストの存在が抹殺されて「なかったこと」にされないための最後の防波堤としたい、という深層心理的な動機もあったりする。

これにもなんとなく共感できるのですよ......いつか自分が死んで、さくらインターネットの契約期間が終了し(あるいはkazuhi.toドメインの契約期間が先に終了を迎え)、誰に知られるともなくひっそりkazuhi.toがアクセス不能になっても、きっとしばらくはインターネットアーカイブにコンテンツが残るだろうし、ググれば何かしらヒットするでしょう。もしかしたらそのおかげで、自分の書いた何かを必要とする誰かの役に立つかもしれない、なんて動機も少なからずあって、覚え書きを続けているから。そういう可能性に思いを馳せるだけで、何者にもなれない/なれなかった自分を後悔せずに済むというものです。

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