50代にしておきたい17のこと
著
いつ読み終えたか記憶にないですが、もうお腹いっぱいだから50代向けの本はしばらくいいや、と思っていたのに値段が安いのに釣られて買って読了したのが『50代にしておきたい17のこと』。17なんて随分と中途半端な数ですし、内容的にもあまり刺さらなかったけれど、覚え書きしておきます。
どんなスポーツの試合も、後半戦からが面白いし、本当の勝負のときです。前半戦で勝ったからといって、後半戦もうまくいくとは限りません。逆に、いままで負けていたからといって、最後まで負けつづけるということもないのです。
ここは実に励まされるというか、生きる希望が湧いてくる感じがします。ただ悩ましいのは、いつ唐突に人生が終わるとも知れない日々の中で、実はとっくに後半戦も終わろうとしているかも知れないし、逆にまだ後半戦に突入していないかも知れないこと(いや流石にそれは無いか......)、かなあ。
一つのことに10年かけるとすれば、これからの人生で、あと一つか二つくらい、何かをものにできるでしょう。
確かに思えば、登山に関しては気がついたら10年以上続けていて、それなりに難易度が高いとされる山なりルートも歩けるようになった(「ものにできた」と呼べるかどうかはさておき)のは、実績の一つとして少しは自信を持っても良いのかも知れない。この先、楽器に手を出すならドラムと心に決めていますが、さてどうなるか。
50代の不幸は、「自分のできることをできない」と思い、「できないことをできる」と考えることです。その空回りがうまく統合されないまま60代になったら、それこそ悲劇です。
まだ40代とはいえ、同じことが言える気がしますね。上記は全くもって言い得て妙と感じます。いくつになっても自分の実力を正確に把握できていたいし、そのうえで無理ない範囲の背伸びも必要、というように解釈しましたが、意外にそれが難しかったり。
今回の人生では何をするのか。何をしないのか。それをじっくりと見極めて、人生の総決算に向かうことが、50代の課題といっても過言ではありません。
「今回の」という言い回しが、妙におかしい。自分は輪廻転生を信じてはいないし、だからこそ「次回の」人生があるなんて1ミリも期待してません。ただまぁ自分を構成している物質が、いずれ何か別の生き物(人間かどうかは問わず)を構成する可能性は現実的にあって、そういうことを想像すると、ちょっと楽しい気持ちにはなります。
家族が大事、友情が大事と言いながら、じつは少しも大事にしていなかったりしがちです。
......何歳になっても自分本位で本当に申し訳ありません。もはや死ぬまで修正がきかないかも知れないと、半ば絶望しています......。
自分の人生をかけてチャレンジできることを見つけられたら、その人の人生は、たとえそれが困難なチャレンジだとしても、充実したものになるでしょう。
現在JAXAで進行中の宇宙飛行士選抜に関するニュースを見聞きするたび思うのですが、自分は応募こそしてないけれど、宇宙へ行く夢を諦めたことは一度もないし、きっと今後も諦めない。自分にとってはそれを貫くことがすなわちチャレンジしているということ。可能性が低いのは百も承知でなお諦めないのは、やっぱり生き甲斐だからかも知れない。
つまるところ時間というのは命だというふうに考えると、わかりやすいと思います。あなたは、今日という時間=命をどう使いますか?
「時間」だと、多少は無駄にしても許される的な緩さがありますね。なので「時間」を「命」に言い換えるというのは、今ここに集中し・それを大切に生きるうえで有効かも。ただそうなると、誰かの「時間」を奪ったり無駄にしてしまったときに責任重大感が増す......その人の「命」を部分的にであれ奪ったり無駄にしたことと同義に(汗)まぁ実際そういう側面は否定し難く存在するのですけど。