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SDGs経営の時代に求められるCSRとは何か

時系列としてはCSRのほうがずっと昔からあったにも関わらず、世はすっかりSDGsブームっぽくなってしまっており、あたかもCSRがSDGsに取って代わられたかのイメージすらある昨今、その妙なあべこべ感を是正するヒントが少しでも欲しくて『SDGs経営の時代に求められるCSRとは何か』 を読了。なお、1箇所誤字っぽいのを発見......「Topic 15 ESDと企業」にあるSGSsは、きっとSDGs。

あるべき理想のCSRと現実のCSRとのギャップが大きく、企業の対応も先進企業とそうでない企業との間で二極化していることが、CSRに誤ったレッテルが張られ、次々に出てくる3文字用語がCSRとどう違うのかわからないという、混乱を引き起こしてしまっているといえるだろう。

「次々に出てくる3文字用語」とは、具体的にはCSVとかESGとか、それこそSDGとか。この辺りは本当に混乱しているなと感じるし、それに輪をかけて交通整理の仕方も人それぞれだから、難しい。あまりこう原義にこだわりすぎても、かえって伝わりにくくなりそうだなと思ったり。

地球上の生物が次々に絶滅し生物多様性が減少している様を例えて「飛行中のジャンボジェット機のリベット(びょう)が少しずつ抜け落ちているようなもの。当面の飛行に影響はないが、いつしか空中分解して墜落する時がやってくる」

上記は、テレビ番組「どうぶつ奇想天外!」でお馴染みだったらしい、千石正一氏による解説として紹介されていたくだり。実にわかりやすい......一時期「ただちに健康に影響はありません」というフレーズが流行った気がするけど、それに似てるような気も。たとえそれが中長期的・累積的なものであっても、何かの拍子に急速な不可逆変化の引き金となる可能性は意識しておきたい。

私たちの問題関心はとかく時間的にも空間的にも身近なところだけに向きがちだ。地球環境の課題や人類の将来のことまで深く考えることはしていない。

空間的な課題の共有(や、それに意識を向けること)については、通信衛星やインターネットがもたらしたグローバリゼーションによってかなり改善されてきたように思っており、この先の課題は時間的なほうだと思っていて。そこが本当に難しいなと思うし、倫理学の発展を避けて通れない印象があります。人は自らの死より先の未来をどこまで真剣に心配できるのだろうか的な。

大きな目標や到達点を明示するだけで、あとは各国・各主体の自主性にゆだねてしまうこのやり方が果たして功を奏すかどうかはまだわからない。しかし、これだけ多極化し国家の利害が複雑に絡みあう国際力学の中では、また非国家主体の役割・影響力がますます増大する中では、これに賭けるしかないことも事実だろう。

財務と非財務の境界がもっとぼやけつつ、両者の関係性がより高解像度で客観的に把握できるようにならないと、自主性に委ねざるを得ない現状を打破できそうにない気がしています。そうなるべく、もっとデータを収集・分析できるようにならないといけないんだろうな......極論、この惑星上のありとあらゆる物質循環をリアルタイムでマクロにもミクロにも自在に確認できるようにならないと。

SDGsは目標の体系であり、そこへ至るまでのアクションを解説してはいない。これに対して、ISO26000では、SDGsを補完する実際の具体的アクション項目や取り組み方法などをガイドしている

ISO26000はSDGsより先に完成していたわけで、上記のような表現はそれはそれで「あべこべ感」を覚えますが、SDGsがMDGsからの発展形、一体として捉えるなら、それほど違和感はない(かもしれない)。それはそうと、ISOの戦略文書(ISOStrategicPlan20112015)では、世界が直面する持続可能な発展という課題こそ、今後ISOが手がけるべき分野だとしているのは初耳で、記憶しておきたい。

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