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創造的論文の書き方

主ゼミの伊吹先生に、論文の書き方について何か良い本はないですかって相談をして教わったのが、『創造的論文の書き方』。確かに論文の書き方についての本ではあるのですが、実際には研究テーマの考え方からしっかり丁寧に解説されています。四半世紀以上の昔、学部生だった当時の自分にも読ませたいなと思ったくらい、良書でした。これから卒業までのあいだ、何度か読み直していこう......!!

いい論文とは、そこで報告されている研究内容に創造性があり、かつ文章として説得的でわかりやすい論文のことである。それが、この本で言う、「創造的論文」である。

自分は何も、すごい(=創造的な)研究成果報告書を書きたいわけではなくて、ただ自分が考えたいことを考え&調べたいことを調べ、それらを文章にまとめたものを評価してもらい、結果それで大学院が卒業できれば必要十分なのだけど。それが単なる自己満足と評価されるのは嫌だし、他人に読ませる前提は必須である以上、本書における「創造的論文」を自分も目指さなければならないのは、不可避なんだな。

読み手は必ずリニアーにしか読めない、ということです。だから、書く順序がものすごく大切になる。

これは本当にそうだな......と痛感。本書では似たような注意喚起が繰り返され、例えば

多くの本や論文で人間の思考プロセスとして直接的に書かれているプロセスは、むしろ現実には円環運動として理解すべきところを直線的に書いているだけ、逆に言えば、文章としては直線的に書かざるを得ない、ということでもある。

とか

文章という一次元の媒体を使って、三次元の樹の姿を描かざるを得ない、文章に表現することのもっとも本質的な難しさは、そこにある。

というくだりも、やっぱりリニアーに読まれる前提で書くことの難しさを訴えています。例えばこの覚え書き程度の、短く他愛もない文章を書くのに感じることは無いけれど、今まさに考え直しているところの研究成果報告書のアウトラインは、確かに思考の複雑さや立体さをどうすれば一本の線に落とし込めるかという点で悩んでいる気がしていて。

「はじめに」はあくまで読み手に対する導入である。それは、導入していくべき全貌が明らかでなければ、書けないはずである。だから、止めを打つことによって書き手が全貌を理解してはじめて、「はじめに」を書けるようになる。

うーむ、これも確かになるほどだわ......リニアーに読まれるからといって、最初から綺麗に順番に書けるはずはないのだな。そもそも思考は(だけでなく調査なんかも)おそらく行ったり来たり、収束と発散を繰り返しつつ徐々に一定の形(というか「線」)にまとまっていくというか、まとめなければならないと理解していて、故に「はじめに」を最初に書かなければいけない道理など全然ないし、論理的に考えればこそ不可能だったわけですね。

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