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宇宙倫理学入門

宇宙倫理学入門』も、いま大学院で考えていることに関連して読んだ一冊。しかし内容の深さといいボリュームといい、これは本当に入門書なのか?......という感想。倫理学とか哲学、そして何よりリベラリズムと呼ばれる何かについて、一定の知識なり理解がないと咀嚼は困難だと感じました(もちろん自分も、一回読んだだけで完全に内容を理解できたとは到底思っていない)。ただ、この領域が自分にとっては非常に面白いこと、また書かれている内容に対する全人類的な考察なり検証、またその先にある(かもしれない)合意形成というのが極めて重要な時代に突入しているという確証は得ましたね。

中長期の未来における持続可能な有人宇宙ミッション——仮に本書では「宇宙植民」と呼ぶ——を中心に、ありうべき未来の「宇宙倫理学」のためのひとつのたたき台を提供するものである。

ていう、「はじめに」に明記されている本書の趣旨は確実に押さえつつ、何箇所か線を引いた中から3箇所だけ厳選して覚え書きしておくと、

人類文明の多様化の可能性は、実はオニールにおいても十分自覚され、歓迎されてさえいたが、それでもオニールの構想のなかではまず地球近傍から段々に遠く、という線形の順序が想定されていた分、その可能性の提示が与える衝撃は緩和されていた。

別の書籍で、惑星単位の(地球的には「グローバリゼーション」がもたらす)均質化・同質化へのカウンターとして、宇宙植民に伴う多様化という期待を認識していたけど、それってかの有名なオニール氏の時代からある考え方だったというのは本書で初めて知りました。『ガンダムAGE』を見ていた当時、火星程度の距離感で異なる文明が生ずる設定はどこまで有効か考えたことがあったけど、通信におけるリアルタイム性の喪失は思っていたより軽んじるべきではないのかもしれない。

真正な意味において、少なくとも数百年間にわたり、複数世代をまたぐプロジェクトを、一貫してやり抜かねばならない、というまったく未知の課題がそこにあるのだ。

SDGsやなんかの文脈において、「未来」とか「将来世代」みたいなフワッとしたキーワードが稀によく出てくるけど(笑)、それらが具体的にいつまで先のことを意図しているかに明確な定義も合意も無いように感じられることに自分は課題意識を持っていて(仮にそれが「未来永劫」的な意味合いであったとしてもそこに一定の合意があるなら大したものです)、それはまさに上記の指摘に通ずるところがある(というか根っこが同じ)と思いました。

地球に居住しつつ地上から宇宙開発に間接的に、あるいは無人ミッションに関与する場合はともかく、実際にその身体を外宇宙にさらし、そこで持続的に生活し経済活動を行うことと、この生活水準向上という動機付けとは、どの程度両立しうるだろうか?

上記はあくまで私的な取り組みの類を除外したうえでの問いかけではあるのだけど、この手の問いに対して果たしてどれだけの人数が明確な答えを持って有人宇宙開発に取り組んでいるか、興味深く思っています。仮にNASAやJAXAといった公的機関に属する職業的宇宙飛行士にぶつけたところで、きっと答えてはもらえない(少なくとも真正面からは)問いだと思うけど、どうなんだろう。

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