情報汚染の時代
著
誰に薦められたか既に記憶にないけど、とにかく大学院の授業で知ったのがきっかけで買って読んだのが『情報汚染の時代』。2014年という出版時期からすると古臭く感じる部分があるかもしれないと身構えて? 読み進めたところ、全然そんなことなかったし、割と辛口なところを含め面白かったです。
すべての情報は、「データ+意図」という構造を持っている
そもそもデータと意図の切り分け、線引きが地味に難しいような印象を抱きつつも、納得。
情報汚染とは、ある情報に、本来想定しているもの以外の何かが付随していて、それによってその情報の理解が歪むことをいう
この定義についても、「本来想定しているもの以外の何か」を簡単に分離できれば誰も苦労しないよなぁと思いつつ、納得。合わせて、情報汚染とは、そこで語られる情報が、事実であるか否かとは関係がない
というのも、重要な指摘かと。
情報はどのようなものであっても歪んでいるし、必ずしも正確ではなく、悪気があってもなくても、主観的に加工されて送られてくる。だから、複数のチャンネルによってもたらされるものを収集し、比較・検討して初めて、その情報を取り込むことができる
上記は、本書のタイトルである情報汚染の時代を生き抜くための、基本的ながら有用なアドバイスでした。情報はどのようなものであっても歪んでいる
とはっきり言い切ってるところが凄いけど、確かにそういう前提を設けたほうが良いように(日々SNSのタイムラインを眺める身として)感じます。
情報経路が、任意であり、無関係であり、権威があり、継続しているものであり、解放されているものであれば、その経路からもたらされた情報は、汚染度が低い
上記もまた、アドバイスとして有効かと。私たちは何を根拠としてある情報の確かさを判断するかという話でもあるわけで、そこにもっと自覚的でありたい。権威と継続の2つについては、そもそも一定の継続性を有しない事物に対し権威を感じることはない、という関係でもあるとも思うけど。
おそらく現状の情報通信技術は、私たち人類を全体として堕落させ腐敗させることはあっても、よりよい状態に導くことはないだろう
うーん実に辛口、というか悲観的。まぁでも情報において重要なのは、量ではなく質であること
というくだりと考え合わせれば、とりあえずインターネットやWebによって扱うことのできる情報の量は十分すぎるほど増やせたわけだから、今後はもっと質をどう高めてていくかの議論なり対応を進めていくべきという意味では同意せざるを得ない。