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フルライフ

少し前に『フルライフ 今日の仕事と10年先の目標と100年の人生をつなぐ時間戦略』という本を読みました。100年も生きるつもりはないし、生きれないだろうとも思ってますけど、久しぶりにちょっとタイトルが気になったのでね。ちなみにフルライフという言葉を著者は「充実した人生」という意味で用いています。

時間のスケール(1日〜100年)が如何なるものであっても、変わらぬ時間戦略の本質は、Well-DoingとWell-Beingの重心を見つけること

このDoingとBeingというのが、いまいち良くわからなかったのですけど、なんとなく前者は能動的に過ごすこと、後者は受動的に過ごすことを指しているらしい。個人的にはそう書いてくれた方がよっぽどわかりやすいと思うのですが、Doing/Beingは著者お気に入りの言い回しっぽい。なおかつ、重心を見つけるというよりバランスを取るという方がしっくり来るかな。

1日を終えるときは、今日印象に残ったことを振り返る。そうすることで、今日という日は人生において、特別ではなかったかもしれないけれど、かけがえのない1日であることを実感できるようになる。

最悪だ......と思うようなイベントがあったとしても、そうではない面に目を向け、良い印象でその日の記憶を上書きするっていうテクニック? の紹介。要は心の持ちようでどうにでもなる、ということか。人付き合いにおいても、相手の良いところに目を向けようみたいな話と似てる感じ。

これからは一つに依存する時代ではない。では、依存の反対は何か? それは自立ではなく、たくさんへの依存である

これは著者ではなく、著者の友人の言葉だそうですが。言わんとしていること、わかるような、わからないような。複数の軸を持って生きていくことが当たり前の時代になる、というような文脈の後に出てくるのだけど(それ自体は正しいと思うし自ら実践しているつもりでもいる)、それと自立/依存とはまったくレイヤーの違う話に自分には思えます。フレーズとしては、面白いのですが。

結局、著者の主張にあまり馴染めないまま、あっという間に読み終わってしまったという。Well-Beingの意味合いが途中で変わっているように読めた(受動的な過ごし方のことかと思いきや、予防医学の文脈では「幸せ度や満足度」と同義に扱われていたり、最後のほうでは「自分らしさ」なんて言葉に言い換えられたりした)のが、そもそもの原因か。

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