剱人 剱に魅せられた男たち
著
お知らせ! - 阿曽原温泉小屋で紹介されていた、『剱人 剱に魅せられた男たち』を読みました。阿曽原温泉小屋のご主人、佐々木さん&チーム阿曽原の皆さんが取り上げられている番外編3「黒部の道直し」も良かったのだけど、「剱人」の皆さんの言葉の数々が沁みたので覚え書きしておきます。
遭難現場を数多く見るうちに、常に事故を意識するようになった。どんな場所でも『事故が起きない』のではなく、『起きるかもしれない』という考えを絶えず自分のどこかにおいておかなければいけない。
上記は、佐伯友邦氏の言葉。昨年、奥深い黒部峡谷で左腕を骨折して自分もようやく、そういう認識を持ちました。どこか自分の能力に過信があったというか......それまで穂高連峰も劒岳も、下ノ廊下もトラブルなく歩いてこれたから。でも、もう過信はしていません。自然を正しく恐れ、自分を正しく疑うことが大事だと思って歩いていきます。
自然がすばらしいって決めてしゃべってるし、自然というものに対して過剰評価がすごくあると僕は思う。自然というのは非常に冷徹なところがあって、人間に無関心やし、自然は淡々と、ただ自然の営みをやっているだけ。
上記は、和田城志氏の言葉。普段、都市部で生活する限り意識することはないけれど、それは人間が人間のために、日常的に生命が脅かされるようなことの無いよう自然を作り替え続けてきた結果であって。本質的には人間も自然の一部と思いたいけれど、どうしても敵対的に映る場面はあるんだよなぁ。
当時の真砂沢は多くの大学山岳部でにぎわう学生天国のような場所で、合宿最終日に各大学による「裸踊り」が、まだ盛んに行われている時代だった。
上記は、坂本心平氏のところで出てくるくだり。鳥人間界隈でも同じような話があったなぁ、と懐かしく思いました。今はできないと思うけど、昔は鳥人間コンテストが終わった日の夜、出場した学生がプラットフォームに登っては全裸(正装とも言う)で琵琶湖にドボンドボン飛び込むのが風物詩だったのよ(自分も登ったけど飛び込んではいない)。
山は体力があれば登れるというものではなく、どれだけ的確に間違わない判断ができるかが大事。登山って、判断することだから
上記は、上田幸雄氏の言葉。登山とは判断すること......これは言い得て妙、まさに至言。