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元気なうちから始める!こじらせない「死に支度」

死に支度、という表現は正直あまり好きではないけれど、いわゆる終活というのは自分の両親にとっても、また僕自身にとっても必要な取り組みとして、徐々に認識と理解とを深めつつあります。まぁ両親も僕もありがたいことに目下健康ではあるのだけど、そういうわけで『元気なうちから始める!こじらせない「死に支度」』を読みました。

親御さんの終活は、「死について考えたり口にするのは縁起でもないことだし、親に死が近いと意識させるようではばかられる」と躊躇する方も多く見受けられます。

自分もまさにそう考えていた一人だったのですが、実は両親は(というか少なくとも母親のほうは)終活に前向きであることを少し前に知り、大変ありがたく思っています。死なない人間などいない、人は必ずいつかはこの世に別れを告げるもの......その事実に囚われ過ぎても窮屈ですけど、逆に目を背け過ぎても良くない、と思っています。

身内が死をむかえて葬儀の手続きを進める時期は目がまわるような忙しさ。次々と決断を迫られ、時間に追われ、ひとつひとつを処理していくことだけで精いっぱいです。

今年の3月に義父が亡くなり、諸々の対応に追われた嫁さんからその苦労を聞いた限り、上記は間違いないですね。そして終活に今のうちから取り組まない限り、恐らくはいずれ自分の身にも同じ忙しなさが降りかかってくるのだろうし、また僕自身が家族に苦労を強いることになる。そう考えるとますます、終活を忌避している場合ではないなぁと。

親にエンディングノートを書いてもらう以前に、「自分自身が書いてみる」こと。

エンディングノート、まだ書き始めていない......とりあえず、気負わずかける程度のボリュームのフォーマットで書き始めないとなぁと思います。なんとなく、年末年始のタイミングで毎年更新していくのはどうかな?とか思っています。休日の時間を使えるし、直近の一年を生き延びたことへの感謝と、新たに始まる一年を生き抜く動機に繋がったりしないかしら。

親の加齢が進むと、「言った」「言わない」「聞いてない」が頻繁になってきます。親が「元気なうちに」「いっしょに」「少しずつ」始めるのがポイントです。

終活って、やっぱり人生の残り時間との競争という側面があるなと感じます。いついかなるイベントが発生するか知れない日々のなかで、ほんの少しずつでも前向きに取り組まなければね。

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