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社長という病

自分は昨年6月の株主総会をもって「社長」という肩書きを取り下げた(取り下げていただいた、という表現が正確かもしれない)のだけど、『社長という病』はまだそういう肩書きで仕事をしていた時に読んだ本。実際、ある種の病にかかっていたのだろうなぁと思うのは、気づかぬうちに本書(紙版)を2冊買っていたことからもお察し。比べてみると、線を引いているところが微妙に同じだったり違かったりして面白い(どちらを先に読んだとかは不明)。いくつか実感として賛同できたところを抜き出すと

いくら、仕事と生活を切り離して考えても、家庭がうまくいかなければ仕事もうまくいかなくなります。

これはもちろん、頭では理解していました。けれど、結局のところ改善に向けた言動には反映できていなかった、ということはやはり本当の意味では(心は)理解できていなかったのだろうと思います。そしてその状態は正直、今現在も続いているけれど、一時期と比べればだいぶ改善できていると思いたい。

役職が人を変えるという言葉があるように、役職で自らが見えなくなるということもあるようです。

ありますね。というか、ありました。これは完全に今思えばってやつですけど、やっぱり自分を見失ってたなと思います。変に背伸びしようとしていた節もあったし、妙に気負ってもいたように思うし、無駄に焦っていたし、この先一体自分が何をどう頑張っていけばいいのか、優先度も重要度もわからなくなってしまっていたような。おかげさまで、落ち着きましたけど。

会社を背負う立場のため、その大変さのせいか「自分の考えが正しい」という思い込みが強くなります。

社長なんていう、日本社会では無駄に崇め奉られやすい肩書きを持ってしまうと、確かにそういう側面があるかなと思います。でもって、正しいと思い込んだところの考えを通せないと、それがまた恐ろしいまでのストレスとして自分に跳ね返ってくるという悪循環。今? もちろん、もうそういう類のストレスは減りました(無くなってはいない)。ありがたいことです。

笑顔でいる社長の会社は、とても明るい雰囲気を持っています。このようにトップの姿は会社に必ず反映し、よくも悪くも感染は広がっていきます。

今年はとにかく機嫌よく生きていこうと思っているわけだけど、それを対外的に表現できているかどうかの自信はまだないです。ただ思うのは、やはり組織・集団でことにあたる以上、一人一人の機嫌が本当に大事だと思うし、それを「モチベーション」なんて言葉で表現することもあるかもしれないけれど、周囲の機嫌を損ねるような真似はしないようにしないといけない。その点はだいぶ気をつけるようになった......はず。

人間が本当に求めているのは、安全などではありません。
目標に向かって努力し、苦悶することなのです。

そもそも今の世の中、安全・安定なんてものは集団幻想の一種であって、求めれば得られるなんて考えるほうが余程おかしいかもしれない。であるからして、その動的かつ不安定な環境にあって自分がどう行動すべきかを突き詰めると、周囲との摩擦を最小化しつつ進みたい方へ進むべく努力を重ねるしかなく。そうすること機嫌も良くできそうだし。

人間関係の崩壊は、共有がないから起こる

......肝に銘じます。

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