不機嫌は罪である
著
齋藤孝氏の著書、『不機嫌は罪である』を読了。この数年、自分が抱えていた諸問題というのは、おそらく本質的に自分が不機嫌であったり、そのつもりが無くとも自らの不機嫌さを対外的に表現してしまっていたことに因るのだろう、と思えることが少なからずあって、手に取った本です。「はじめに」に出てくる
私たちは、人類の歴史のなかでもっとも自身の不機嫌を人前にさらしてしまう危険と背中合わせの時代を生きている
というのは至極ごもっともな指摘で、日々WebやらSNSに接している立場からすると納得感があります。自分はその手のネガティブなことはなるべく書かないようにしているつもりだけど(残念ながらゼロにはできていない)、しかしいまのご時勢、積極的に不機嫌を晒す人がいかに多いかは実感としてあり。そして
特段不機嫌というわけではないのに、不機嫌に見えてしまうのです。いわば「加齢臭」ならぬ「不機嫌臭」が発生している状態
というのはまさに、自分のことを言い得て妙だろうなと反省。40歳を超えたあたりから、自分ではそれまでと同じにしているつもりなのに「なんだか不機嫌に見える」という現象は自然とついてまわる
とあって、年齢的にもドンピシャでありました。でまぁ、不機嫌をコントロールするためのアドバイスが本書にはあれこれ書かれているのですが、
自分のなかに悪いイメージがあって、負の力が働くときは、どうやっても気分がすぐれない。それを取り除くためには、執着、思い込み、欲望、嫉妬といった、何かにとらわれる気持ちをスパッと断ってふっきることが大切です。
これに尽きるんだろうなと。生き物である以上、感情がある以上、不機嫌を無くすことはできないだろうけど、そうなったときにいかに短時間で抜け出せるかは、「ふっきる」力次第なのでしょう。「ふっきる」ことが直接の目的ではなかったけれど、日々の生活にちょっとした変化をつけ続けようとしてきたのは、自分なりに有効だったのかなとも思います。時間の使い方だったり、コーヒーを飲む場所だったり。ひとつひとつは小さな変化でも単純に気分転換にはなるし、その積み重ねから「ふっきる」機会も生まれやすくなっている気がして。