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モリー先生との火曜日

先月の衝撃的な死別がきっかけで、殊更に死生観に囚われるようになったわけでもなく、『モリー先生との火曜日』についてはその死別より少し前に読み終えていた本。難病としてよく知られるALSを患った師からの最後の教え、メッセージを綴ったノンフィクション作品です。なかなか、素晴らしい示唆が多くありました。

死というのはすばらしい平衡器イコライザーで、見知らぬ者同士に最後には互いに涙を流させる装置なのかも知れない。

平衡器、のところの「イコライザー」という読み仮名、そういう表現に遭遇したのはおそらく本書が初めて。エヴァの世界観にハマったことで、生と死は等価値であると、割と真剣にそう思えているのだけど、そういう価値観に通底している表現と感じられます。

こういう考えを出発点にしよう。誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない

本当に、確かにそう、特に我が身が幸運にして五体満足・無病息災であるうちは。もちろん頭では理解している、少なくとも理解できているつもりでいるけれど、おそらく心が否定している。どうせ今日の続きとしての明日が「普通に」訪れるに違いないと。そしてそれを、自分自身のみならず周囲の誰に対しても暗に期待している。

仏教徒みたいにやればいい。毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。『今日がその日か? 用意はいいか? するべきことをすべてやっているか? なりたいと思う人間になっているか?』

辛い問いの連続。しかしおそらくそれを真剣に問い続けることでしか、本当の意味で生きていることの価値を最大化させることは難しい。そしてこれらの問いは、故スティーブ・ジョブズ氏の遺した言葉とよく似ています。生前、鏡に向かいながら問いかけた、If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?ってやつ。きっとそれだけ、普遍性のある問いなのでしょう。仏教徒の方が、本当に小鳥を肩に止まらせているかは知らないけれど。

仲直りすること。自分と、それから周囲の人すべてと仲直りしなければいけない

......これは難しそう。自分と、は特に。できるだろうか? いや生きている限りチャンスはあるのだから、実行可能な部分から取り組まなければいけない。

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