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なくしたものとつながる生き方

グリーフケアに関する情報を求めてさまよううちに、誰かを亡くした悲しみは、"乗り越えるもの"ではなく"大切に抱きながら生きていくもの"。グリーフケアを広めるリヴオン尾角光美さん | soar(ソア) という記事を目にしたのがきっかけで、『なくしたものとつながる生き方』を読了。件のインタビュー記事にあるように、著者の尾角氏自身、読んでいるだけで心苦しさを覚えてしまうような、大変お辛い境遇を経験してこられた方。いくつか、今の自分にとって若干の救いになるような言葉が書かれていて、一つには

かけがえのない人をなくしたときの悲しみや苦しさは、黒から白へ、ポンと飛び越えるように変わるものではなく、グラデーションの中を行ったり来たりするもの

というくだり。この行ったり来たり、という表現がまさに、気持ちが上下する感覚と近い。少しばかり時間が経ったことで、ジェットコースターに乗っているかの激しい上下動は落ち着いたけれど、それでも時折、上下動を感じることはあって。それが完全に無くなることはきっと(当面の間は確実に)無いのだろうと思います。それがある意味、今を懸命に生きる瞬間にもきっと、わたしたちはなくしたものとつながりつづけていることの証左でもあるのだろうと。そして

なくすことは悲しいことではあるけれど、なくしたところからその人を大切にする時間を始めることもできる

というのも、うまく表現できないですが、自分にとって希望に思える考え方でした。会って話したりすることは二度とかなわないけれど、故人の記憶を大切にすることで関係性、つながりを持ち続けることはできる。少なくともそう信じることは可能だし、それってすごく前向きな死の受け入れ方だなと。死は終わりではないということ、はじまりであり、つながりの源という考え方も然り。

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