Re: Tokyo Design Week 2016の事故に想う
著
TOKYO DESIGN WEEK 2016で発生した火災事故に関連して、竹洞さんが「Tokyo Design Week 2016の事故に想う」という記事を書かれていました。デザイン、つまり社会に存在する課題の発見と解決をテーマとしたイベントにおいて、このような痛ましい事故が起きてしまったことは、Webというより狭いスコープながらも同じくデザインに携わり、それを日々の糧として生活をしている立場として、非常に残念に思います。竹洞さんは記事の後半、
これを他人事と思っていてはダメで、私はWebサイトの品質調査の仕事をしているので、Webの「デザイン」に対して、同じ危うさを感じるのです。
今は、殆どのWebサイトは、命に関わるようなものは無いかもしれません。
しかし、Webサイトがどんどん情報発信源として、存在の重みを増していく中で、Webサイトも命に関わるものがでてきています。
と書かれています。上記は誇張でもなんでもなく、コンテンツやユーザーのコンテキスト次第でもありますが、Webは確実に人の生死を左右する存在となっていると思います。公共機関のWebサイトに関わる方々であれば特に、まずその点を強く意識してWebと向き合う必要がある、とも思います。竹洞さんのご専門は情報品質とか表示パフォーマンスであり、その文脈から注意喚起をされたのだと思いますが、僕の専門であるWebアクセシビリティについては、かつて勤務先でコラム「3.11とWebアクセシビリティ」を書き、似たようなスタンスで注意喚起をしました。また、竹洞さんは
Webサイトの品質の問題について指摘すると、少なからず、Webデザイナーの方が納得できないという顔をします。
品質よりも、美術デザインや表現の方が重要だというのです。
そこに、今回のTokyo Design Week 2016の事故に対する主催者側コメントで自己の感情を出してくる事や、事故を起こした木製ジャングルジムの設計と、共通点を感じてしまうのは過敏でしょうか?
と書かれています。所詮はポジショントーク、などと穿った見方をする方も中にはいらっしゃるかもしれませんけど、僕個人は決して過敏ではないと思いましたし、注意喚起の趣旨には賛同できます。Webコンテンツを一種の工業製品とみなせばこそ、社会的・業界的なコンセンサスに基づく品質基準を満たすことが必要。にもかかわらず、その種の基準がいまだ明確には存在していないという課題、またそれに紐付く危機感を、改めて強く感じた次第です。ちなみに自分は以前から主張していますが、そのWebコンテンツに関する品質基準として、アクセシビリティを据えるべきと考えています。それが規模や種類、内容を問わずWebコンテンツが優先的かつ普遍的に備えるべき品質と考えているから、です。