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死について、今思うこと

お母様を亡くされた同僚が、弔辞休暇を終え職場に復帰されたその日に、ふと思い立って一緒にビールを飲みに行きました。その前日にも、実は同じVector Beer Factoryで独歩のマスカットピルスを飲んでいたのですが......次いつまた入荷するかわからない以上、確実に飲めるであろう日に飲みに行こうというノリもあったけれど、故人が現世を旅立つにあたって心配せぬよう、悲しんでばかりではない姿を故人に示すという意味で、一席設けるというのが何となくの慣わしとして自分の記憶にあったから。ちなみに、財布を会社の机の引き出しに忘れたまま飲んでました(待て

そこでまぁ必然的に人の生き死にの話になったのですけど(変に湿っぽくなるでもなく)、改めて死についていろいろ考えたり思いを巡らす、良い機会となりました。いずれは自分にも確実に訪れる両親の死に、どう向き合うべきなのか。必要以上に悲観的ないし心配性になりたくもないけれど、しかし程度はさておき多少はシミュレーションを、心の準備を始めなければ、いざ本当にその日を迎えた時に自分がどうなってしまうか分からない。そして両親ばかりでなく嫁さんや息子にしたって、いつ何が起こるかわからないという点では、本質的に変わりはない(残念ながら)。

自分が死ぬことについては、小さい頃はすごく恐怖を覚えていた気がしますが、さすがに?40歳をとうに過ぎて、そういう感覚はだいぶ薄れました。そもそも昔、質量保存の法則を知ってからというもの、「なーんだ、自分を構成している何かが完全に消えて無くなる訳ではないんだな」などと妙に安心してしまって。その一方で、身近な人の死への耐性は多分、あまり無い。たとえば病気や老衰で、死の時期的な目安がある程度わかっているなら、それまでの時間を使って心の準備、死への耐性をつけることができるかもしれないけれど、怪我や事故、その他の唐突に訪れるかもしれない理不尽なケースは......考えるだけで鬱になりそうだけれど、可能性はゼロでは無い。

自分も家族も、いずれは必ず死を迎える。それはもうどうしたって回避しようがない。ただ、そうであるからこそ、少しでも充実した生を全うしようという気にもなる(締め切りがなければ効率も生産性もへったくれもない、という例のアレ)。人生、難しいものです。

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