Fw: エンジニアよ、部品になるな――Go Galaxyな男の運命の拓き方
著
@ITで「エンジニアよ、部品になるな――Go Galaxyな男の運命の拓き方」というインタビュー記事が面白かったです。というのも何を隠そう、インタビューを受けているスペースシフトの金本さんとは一度個人的にお会いし、宇宙葬について直接お話を伺ったことがあるのです。諸般の事情により、宇宙葬に申し込んではいないのですが......どういった経緯で宇宙ベンチャーを立ち上げるに至ったかなどの身の上話もその時に伺って、すごく親近感を抱いた(世代的に同じだし、IT&宇宙という括りでは結構、自分の趣味嗜好とかぶっている)のを記憶しています。記事で特に面白かったのは、4ページ目。
IT業界では、転職時に「Xという業務システムの、Yというレイヤーで、Zという仕事をしていました」と経歴書に書く人が多いと思います。そうすると、採用側も「こういうスキルセットなら、プロジェクトAで人が欠けたからここに入れよう」と、エンジニアを「部品」みたいに捉えてしまうんです。
確かに、そういう側面はあるかもしれないですね。その意味では、あまり事細かにスキルセットなり業務経験を書き下し過ぎるのも考えものかもしれない、と思いました。同時に、もし本当に部品みたいに捉えられることがあるとすれば、それは単に表現の仕方の問題かもしれない、とも感じます。過去がどうであれ、今後の伸びしろというか、将来起こり得る変化への対応力(これはITに限らずどの業界でも必要ですよね)というか、そういう部分(柔軟さ、成長可能性)が表現できないと、型にはまっている感=部品ぽさが強く出てしまいそう。
今の職場が嫌い、ツラいという人は、「その会社に入る」意思決定をしたのは自分だということを真摯(しんし)に受け止めないといけません。働き方を決めているのは自分なのですから。自分の能力に自覚を持っていて、今とは違う働き方を望むのならば、違う職場を探せばいいと思います。
似たようなことは、自分もずっと考えて生きてきたつもり。気をつけているのは、環境と自分の界面をどこにどう見出すか、という点。環境あっての自分だし、自分あっての環境という側面もあるし、あえて陳腐な表現を用いると、どうすれば「Win-Win」にできるかを常に考えながら界面を見出し、必要な改善に向けて取るべきアクションとその優先順位を常に考えてきた、ような気がしていて。もちろんそれが機能した時もあれば、あまりうまくいかない時もあったけれど......それでも、今の自分を支える屋台骨の一本には間違い無く、そういうスタンスがあります。