これから始まるフライト
著
人は誰しも、そこそこの時間を生きていれば、忘れられない瞬間の一つや二つ、きっとあると思います。まだ大学3年生だった20年前の夏、サークルで1年間をかけて設計・製作・試験をしてきた人力飛行機に乗り込み、滋賀県彦根市は松原水泳場・鳥人間コンテスト会場につくられた高さ10メートルのプラットフォームから飛び立とうとペダルにかけた足に力を込めた瞬間というのが、自分にとってまさにその「忘れられない瞬間」の一つ。
もちろん、ペダルをこぎ始めてから機体が琵琶湖に着水するまでの2分ほどのあいだも、いまだ鮮明に記憶に焼き付いてはいるけれど、ペダルをこぎ始めるその瞬間というのは、言わば不退転の決意をする瞬間。いったん機体が加速してしまえば(滑走距離は約7メートル、下向きに3.5度の傾斜がついている)発進をやり直すことは許されず、そして次に足の動きを止めたときには、大勢のメンバーが心血を注いできた機体が無事で済まされないことは確実(たとえ着水が穏やかなものであったとしても)。
それでも風の強さと角度を確認し、機体とサポーターの状況を確認のうえ、いよいよ飛び立つ覚悟を決め、ビンディングによってペダルと一体化した足にそっと(そう、急に駆動系に大きな力を入れて無用の異常を来さないよう「最初は」そっと)力を入れチェーンのテンションを張る。その瞬間は、その後何度となく立ってきた人生の岐路(と呼ぶには大げさすぎるかもだけど)において、決まって思い出される瞬間でもありました。
今日の役員人事に関するお知らせに関して、既にお祝いの言葉をいただくなどしていますが、個人的には全くもって「おめでたいこと」ではありません。自分なりに悩み、考え、逡巡しながらも決断をし、覚悟した結果でしかありません。なので、どうか僕と会っても(会わずともオンライン上などで)「おめでとう」なんて言わないでいただきたい。昨日までの自分と今日からの自分は地続きであって、僕の中の何かが急に変わるなんてこともなく、僕は僕でしかなく。ただ20年前の、人力飛行機でいざ飛ばんとする瞬間を再び思い出しながら、これから始まるフライトに思いを馳せるのみ。